アルフレード・クラウス没後25年〜「女心の歌」?

Masculin:今日は不世出の名テノーレ・リリコだったアルフレード・クラウスの命日なんです、没後四半世紀。一度だけ聴きましたよね、ご一緒に。あれは当日お誘いいただいて。

Féminin:…そうだったわね、’87年の秋だったかしら。今はない五反田のゆうぽうとで急にいただいたチケットだったんだけど、ほら父もあの人もクラウスのレパートリーの中心だったベルカントものには関心が薄くて、それで守備範囲の広い貴方様に頼ったのよ。

M:…まあ便利に使われてたのはもっと昔からだけど、ちょうどあの頃お姉様はあの方になびいていらして…。 

F:あらまた今さら。それも誰かさんがいつまでもはっきりしなかったからでしょ。あの四年くらい前ね、知り合ってもう十年くらいだったかしら。大切なお話がってわが家にやって来て、父の前で酔い潰れるならまだしもさんざん呑んだのに至ってしっかりしたままで、それでは失礼します、本日はどうもごちそうさまでしたって肝心のことは何も言わずにさっさと帰っちゃったのはどなただったかしら?肩すかしもいいとこだったわ。私が三十路目前だったんで、父は何だ彼はもう少し待てば安くなるとでも思っとるのかなんて冗談混じりながら渋い顔で。

M:うむむ…あれはまた生涯の不覚だったかと。でもその後われわれ一緒だった先の團十郎の襲名披露興行の三月目の六月に、歌舞伎のロビーであの方とばったりお会いして、その時お姉様は「あら、お久しぶりでございます…恩師なのよ、大学の。コレは私のプロテジェいえツバメです(笑)」とさらりとおっしゃって…横で思わずカチンときてたけど。

F:うん、私も何年ぶりかに逢ったの。卒業してからそれ以上のお付き合いはなかったから…院に進んでからもね。

M:あの時、僕はまだ助六を気取ってたつもりだったんだけど、それからしばらくして、あら意休が現れたみたいね、しっかりなさいよって人づてに…。

F:…どなたが見てらしたのかしらね…そう、またその後に偶然逢ってお話していたらあの人もお家のことで悩んでるのが分かって…お子さんはいなかったんだけど。それでアナタと同じく趣味はいろいろ合うけど、大酒呑みでもないし気づいたら距離が縮まってて。

M:ふ~ん、一回り年上の大学教授と久しぶりに再会したかつての美しき教え子なんて、良く聴いたような話ではあるけど…ツバメを袖にしてね。

F:ちょっと失礼ねぇ、また。そりゃあ確かにあの人は学生の頃から女子の憧れの的ってほどじゃないけど好感度は高かったわ…生真面目なワグネリアンでね。一方で私については今さらお話するまでもないでしょ。

M:えぇそりゃ勿論。「ミス六大学」の誉れも高くって飛び切りキレイだけど煮ても焼いても食えない「丹頂鶴」とか難攻不落の「不沈戦艦」だなんて男どもからは噂されてて。それに徒手空拳でアタックして成果を収めたのも年下のこのワタクシで。

F:思えばずいぶん無茶な想いを受け止めてしまったものね、このワタクシとしたことが。まあでもお互い、これほど長いお付き合いなんだから間違ってなかったんでしょうけど。

M:山あり谷ありだからお互い飽きなかったのも確かでしょうけどね。まあともにひとり親でもあったし、だからひとつ屋根の下でずっと顔つき合わせてたらさすがに…。

F:ねぇそれはともかく、演奏会前に寄ったお店覚えてる?また音楽より先に食べ物ですかって笑われちゃいますけど。

M:えぇそりゃ勿論。東銀座で今もやってる「銀之塔」ですよ、和風シチューの。僕も久しぶりだったんで。

F:私も名前は聞いてたけど、貴方が通し営業だから早めに食事を済ませて会場のある五反田まで浅草線一本だから都合がいいですよって。

M:歌舞伎の楽屋への出前なんかもあって通しなんでしょうね。お味は覚えてらっしゃいます?

F:ウ~ン、土鍋でタンとビーフのミックスシチューがグツグツ出て来て、猫舌のワタシとしてはちょっとたじろいだけど、ソースは古典的な洋食屋さんのドゥミグラスほど煮詰めてなくって思ったよりもあっさりで、確かにご飯と一緒に口に運ぶのを考えてる感じだったわ…でも確かに長年のお客様にこよなく愛されてるって感じで…小鉢でひじきときんぴらと切り干し大根が出て来て、妙に鄙びた感じなのもね…。

M:「感じ」の三連発だなぁ珍しく。要するにお気に召さなかったんでしょ、あんまり。

F:えっ…まあずいぶん時間も経ってるし、その後もまるで出かけてないから。でも幾星霜を経て今でも続いてるのは愛されてるお店の証明だわ。だからあのお味があのお店の得難い個性なんだと。

M:そう、あれももう十年以上前だなぁ、あそこの近くで一杯やってたらたまたま隣に座ったのが当時の店長だったんです。少し呑んで世間話するうちしみじみ言ってました…ウチの味は古臭いだなんてネットなんかでは勝手なことを言われてますけど、その味を求めて何十年も来てくださってる年輩のお客様を裏切るわけにはいかないんですよ、だから何と言われようともって。

F:…ウ~ン、そうよね。

M:それで思うんですけど、アルフレード・クラウスってひとも自分の声質なんかを考え抜き、ステージの回数も制限して歌手としては長命だったんですよ。われわれが聴いたのは60の時で、最後の来日は’96年でしたから。

F:わたしたちが聴いた時はオケ伴奏でアンコールに本来のレパートリーではない「女心の歌」を二度もサービスしてくれたけど…ハハァ、あそこのお店のシチューとクラウスの持ち味が似ているとでも?

M:そう、だからあの晩、クラウスが

 "La donna è mobile qual piuma  al vento,muta d’accento e di pensiero(女は気まぐれ、風になびく羽根さながら。言葉も変われば考えもまた)"と二度も念押ししてくれたのをきちんと受け止めなかったボクの方にこそ落ち度があったのかも…。

F:またもう、いつまでもこだわってるんだから…あとワタシは’92年のバルセロナ五輪の開会式でカバリエ、ベルガンサ、ドミンゴカレーラス、ポンスとスペインの名歌手たちのトリを務めるようにクラウスが「オリンピック賛歌」を歌ったのが印象的だったわ。

M:また何か誤魔化そうとしてるみたいだなぁ…でもクラウスを一度だけでも実演で聴けたのはやっぱり幸運でしたね。

F:そうね、全てが遠い思い出になりつつあるわたしたちにとってはなおさらね…。

(Fin)