1980年8月19日のこと。

Féminin:…’80年の8月って、軽井沢に一緒に出かけたんじゃなかったかしら…あら、ごめんなさい、あれは父と二人だったわ。もうその年で大学も定年だったからまとまったお休みがとれて。

Masculin:初めての二人っきりの旅を勘違いされちゃあがっかりだなぁ…たとえ大昔の思い出でもね。

F:あら、それじゃアナタは覚えてらっしゃるの?まだ呑気に大学生やってたわよね。

M:もちろん、ほらその二年前の秋に、今は無い浜名湖のホテル寸座ビラージまで僕の運転で。

F:そうそう、免許取り立てのアナタの華麗なドライブでね…正直怖かったわ。ワタシも免許は持ってたけどペーパーだったし…まあ何とか浜名湖から往復無事で帰って来たけど。でもその後はあんまりクルマで出かけることも無かったし、あれからあまり経たないうちにクルマも手放したんでしょ。

M:えぇ、結局クルマで出かけると酒が呑めないのが一番大きかったですねぇ。ほら、覚えてるでしょ。それ以前のホントの免許取り立てで何故かクルマはあったんで母とお姉様と三人で芝大門のS亜飯店に出かけたのを。

F:ウン、覚えてるわ…そうそう、クルマを駐車場に停めてお店に落ち着いたらとたんにアナタが「シマッタ、呑めないじゃないか!」って、まるでこの世の終わりみたいに(笑)。お母様も呆れ顔でらしたわ。

M:まあそれと、免許取ってからはじめて大変なことに気づいたんですけど、ボクはクルマは大好きだったけど運転するのはあまり…いやまるで好きじゃなかったんですよね、どうやら…特に都内の混雑の中なんかを。家に帰り着くともうどっと疲れを感じて。

F:ウン、そうだったわね。せっかくクルマがあるのに呑めないって理由でデートにもあんまり使わないし、それに横に乗ってても運転してるアナタがものすごく神経をすり減らしてるのが分かったし。でも教習所は簡単に卒業したんでしょ?

M:所内のクランクと縦列駐車で二時間オーバーだったかな、感じ悪い教官に当たったせいで。路上はストレートで、学科と技能検定も仮卒ともに一発でしたからね…あれ、お姉様は知り合った頃にもう免許お持ちでしたよね。

F:…ウ~ン、あんまり思い出したくないわ。目黒のH教習所に行き始めたのは大学入ってすぐだったけど、自分でも良く免許取得までたどり着いたと思うくらい苦労したの。特にあの頃は今ならセクハラで一発退場みたいなひどい教官ばっかりだったから本当にもう毎回イヤな思いばっかり…。

M:美貌に罪ありってとこですかねえ…お父様は何かおっしゃらなかったんですか?

F:うん、そんなに嫌ならやめてもいいぞとは言ってくれたけど…教習費がかさむのが勿体ないって思ってたのかもね。とにかく大学受験よりも親知らず抜いた時よりも辛い日々だったわ。鮫洲の試験場で自分の番号がついた時には声は出さなかったけどガッツポーズしちゃったもの。でも結局それからずっとペーパーのままで…「無駄な骨折り」だったわ。

M:あれ、今は違うんだろうけど我々の頃は電球切れが無いか確認するために一旦全部点灯し、それから消灯して改めて合格者の番号が順番につきましたよね。そんな二度手間かけるよりも落ちた奴の番号だけ消してきゃ良いのにって思ったなぁ。だからお互い早めにクルマに見切りをつけたのは正解だったかもですね。特にボクはその後の大酒飲み人生からしても、飲酒運転で取り返しのつかないことをしでかす前に。今だから言えますけど、当時軽く一杯引っ掛けてステアリングを握ってたこともざらにあったんで。

F:お母様も同じことをおっしゃってたわ。ワタシが近所の買い物の足にスクーターが欲しいって言った時に父が猛反対したのと同じお気持ちだったのかも。アナタの場合は運転免許よりも先にお酒の味を覚えちゃってたんですものね…ところでその8月19日って何があった日?私は軽井沢から帰ってすぐだったけど。

M:ほら、あの頃は去年休刊になった「レコード芸術」が銀座Y楽器では発売日よりも早く入手出来て。

F:あぁそうだったわね、だから良く輸入盤LPか書籍の売り場で待ち合わせて一緒にお食事に行ったんだわ。その月は?

M:銀座五丁目のビアレストランLに。それで生ビール数杯空けたその後、気まぐれに後楽園球場行って巨人戦観ましょうって話になって。

F:そうそう思い出した、あそこは七丁目みたいないかにもビアホールって雰囲気は無いけど駅直結でお料理は豊富だし落ち着けて。またいつもきちんと計画を立てるアナタにしては珍しく思いつきでね。それで球場に着いたら内野席のチケットが余ってるからってご夫婦がいて、定価で譲り受けたんだったわ。対戦相手はどこだったかしら。

M:ヤクルトで、スコアは忘れましたけど巨人の負けでした。それからお姉様をお送りして、六本木の知ってるバーでやけ酒を呑んで帰宅と。

F:あら、とっくに箱入りでもなかったんだから、やけ酒に付き合わせてくれても良かったのに…それで何かあったの。

M:えぇ、家に着いてTVのニュースを観てたら新宿西口のバスターミナルで路線バスの放火事件があったと。

F:…あぁ、そう言えば。何人もの人が亡くなったのよね。ホームレスの男が車内にガソリンをまいて火を…あの日だったのね。

M:亡くなったのは6人で重軽症者多数でしたけど、その犠牲者に我々と同じ後楽園の巨人戦を観た帰りの父子連れがいたんです。最後列に座っていて逃げる間も無かったと。それで良く覚えてるんですよ、日付とともに。六本木のバーでカウンターの女の子に「今夜後楽園で野球観てた五万人で、ここに来たのはボクひとりだよ、スゴくない?」なんて軽口を叩いてたんですけど、不幸にも犠牲になった父子もその五万人の中のわずかふたりだったわけで。

F:確か王貞治選手と巨人軍関係者も弔問に訪れたのね。重症を負った被害者の女性がノンフィクション作品をまとめて、映画にもなったけど本当にやりきれない事件だったのは確かだわ。犯人は獄中で自殺したのよね…ほら、その直前に軽井沢にいた時には静岡駅前の地下街で大規模なガス爆発事故があって、やっぱり大勢の方が亡くなったけど、父の知ってるお店が被害を受けたのね。だからそんな事件事故が続けざまに起きるのもだけど、世の中ってやっぱり狭いっていうかどこかでつながってるというか…。

M:まあだからこの19日が来ると、あの晩同じ球場で巨人戦を観て、その帰途に無惨に亡くなった名も知らずまるで面識もない父子のことに思いを馳せるのが、半ば習慣みたいで…もう44年も経ったんですねぇ…。

(Fin)