ヘンリー・マンシーニ生誕100年〜「ムーン・リヴァー」のほとりから。

Féminin:今日はヘンリー・マンシーニのお誕生日ね、3日前の吉行淳之介さんと同じく100年で亡くなってからも30年で。

Masculin:そう、でやっぱり真っ先に語られるのは何と言っても「ムーン・リヴァー」ですね。マンシーニにとっても名刺代わりとでも。

F:誰かさんは中学生の頃、原曲のジョニー・マーサーの歌詞を一所懸命に憶えたのよね(笑)。

M:えぇ、おかげさまで今でも全部そらで歌えますよ、"Moon river, wider than a mile, I'm crossin' you in style some day…"と、アンディ・ウィリアムスと同じキーでね。でもマンシーニは’50年代からスタジオミュージシャンB級映画の作曲家として活躍を始めていたけど、やっぱりブレイク・エドワーズと出逢ったのが共にステップアップするきっかけだったようで。

F:ほら、スタンダードナンバーになってる「ピーター・ガン」のテーマって、エドワーズとマンシーニが最初に組んだ仕事なのね。エミー賞グラミー賞も受けて。

M:劇場用の本編でもその後の「ペティコート作戦」を皮切りにエドワーズの監督作品のほとんどを担当したんだから、スティーヴン・スピルバーグジョン・ウィリアムズに並ぶ名コンビですね。特にその「ムーン・リヴァー」を含む「ティファニーで朝食を」の成功が決定的で。

F:ねぇ、監督と作曲家ってその二組みたいに切っても切れない名コンビがある一方で、プロデューサーからのあてがい扶持なのかいろんな作曲家と組んでる監督もいるでしょ。あれはどうなのかしら…。

M:良い質問ですねぇ、確かにデイヴィッド・リーンとモーリス・ジャールルキーノ・ヴィスコンティ及びフェデリコ・フェリーニニーノ・ロータのようなコンビの一方で、アルフレッド・ヒッチコックウィリアム・ワイラーのようにいろんな作曲家と組んでる例も。そこで思い出すのがそれら巨匠の大半と組んだモーリス・ジャールが昔語ってたエピソードで。

F:何て言ってたの、ジャールは。

M:まずリーンとヴィスコンティについては絶賛でした。一方ヒッチコックはあまり音楽的なセンスが無く、ほぼ作曲家に丸投げだったそうなんです。だから「引き裂かれたカーテン」で長年組んだバーナード・ハーマンとケンカ別れしてからは精彩を欠いたというのが僕の見立てで。またワイラーは作曲家としては特にやり難いひとだったと。

F:どういう点が?

M:まず一曲新しいナンバーを書いてピアノで弾くと

「うん、結構だ。もう一曲書いてくれ」また書いて弾き聴かせると

「うん、それも結構、だけどもう一曲」の繰り返しで、キリもなければ手応えもなしだったんですって。「コレクター」の主演女優サマンサ・エッガーも撮影現場でワイラーが同様に

「カット!もう一度」の連続で、具体的なことをまるで言ってくれないとジャールに愚痴をこぼしたそうで、有名な「90テイク・ワイラー」は作曲家に対しても同じだったと。

F:ウ~ン、確かにそれじゃあ仕事もし難いし張り合いもないわよね。演出のスタイルはワイラーを尊敬していた小津安二郎監督と同じだわ…でも現場での俳優に対する演技付けならまだしも作曲家に対してはちょっと。

M:話を戻すとマンシーニが来日時のインタビューで、映画音楽としての会心作は「雨の中の兵隊」と「いつも2人で」だって断言していたんですよ。

F:「いつも〜」は時系列を自由に行き来する脚本も演出も当時としては新鮮でお洒落だし、アナタの永遠の憧れオードリー・ヘプバーンももちろん素敵だし、マンシーニの音楽も確かに自信作なんだって納得させられるわね。脚本を読んで気に入ったオードリー直々にマンシーニにオファーしたんですって?

M:えぇ、同じ20世紀フォックスで撮ったオードリーの前作「おしゃれ泥棒」もマンシーニにオファーがあったんですけど多忙で断り、代わりに請けたマンシーニのアシスタントだったジョン・ウィリアムズが良い仕事をしたんでマンシーニも気合が入ってたんでしょう。結果あの通りで。「雨の中の〜」はスティーヴ・マックィーンとしては珍しい軍隊コメディだけど…。

F:二人ともきちんと観てないから語る資格がないわね。でもやっぱり全盛期は’60年代で’70年代になると「ピンク・パンサー」シリーズ以外あんまり…。

M:’80年代でも「スペースバンパイア」なんか、作風も内容と合わなかったのかもだけど楽想の枯渇のようにも…。

F:そう言えばやっぱり来日時に「ムーン・リヴァー」について

「沢山の素晴らしい歌手が歌ってくれたが、私がベストと思うのは作中のオードリーだよ。決して上手くはなかったが、あれほど真情の溢れる歌唱は他の誰にも無かったね」って言ってたんですってね。あの窓辺で髪を乾かしギターを爪弾きながら歌うシーン…アナタも同感なんでしょ?

M:言わずもがなですよ。

(承前)

吉行淳之介生誕100年。

Masculin:というわけで、今日は吉行淳之介氏の百回目の誕生日なんです。早いもので亡くなってからもちょうど三十年で。

Féminin:そうよね、「第三の新人」の皆さんは大正生まれで、ウチの父も同世代だったから…ねぇ、そもそも貴方はいつ頃から吉行さんの愛読者だったの?

M:ウ~ン、多分お姉様と知り合う少し前、高校に入った頃じゃなかったかなぁ。ほら内外の作家を手当たり次第に乱読していて、たまたま第三の新人諸氏に惹かれるものが。それも小説以上にエッセイで、同じようなことは僕と同世代の坪内祐三福田和也も書いてましたけど。

F:良かった、小説からじゃなかったのね、吉行さんの。

M:どういう意味かなぁ…でも大学の頃には当時講談社から出てた全集も買いましたし。ただしらけ世代だの三無主義などとつまらないレッテルを貼られてた我々に、第三の新人の作家の在り方が共感し得るものだったのは確かで。ほら第一次と第二次戦後派の作家には団塊世代が共鳴したんでしょうけど、我々はワンクッション置いてたから。お姉様こそ絵に描いたような箱入りのお嬢様だったのに、意外ですよね吉行ファンとは。

F:うん、でも私の行ってたそのお嬢様学校の同窓生には、案外吉行ファンがいたのよ。ファンレターも出すような。

M:あぁ、それはご本人も書いてましたね、女性の読者それも深窓の令嬢的なファンが多いって…まあとにかくモテるひとだったから、老若男女を問わず。15年ほど前に出たかつての「面白半分」の発行人佐藤嘉尚氏による評伝の題も「人を惚れさせる男 吉行淳之介伝」ですからね。

F:ご本人に遭遇したことはある?

M:えぇ、あれはスペースインベーダーの全盛期だったから’79年。夕方に銀座交詢社ビル1階のゲームセンターにいたら、すぐ隣でそのインベーダーゲームをやり始めた男性が。横目で見たら吉行氏でした…あっという間にゲームオーバーで姿を消して。パチンコ好きでは有名でらしたけど。

F:私もちょうど同じ頃、日比谷三井ビルにあったマハラジャってインド料理のお店で。カレーをせわしなくかきこんでらしたけど…帝国ホテルを仕事場にしてらしたから、あの辺は昼夜問わず縄張りでらしたのね(笑)。だけど下の妹さんでやはり作家・詩人の吉行理恵さんが「(淳之介さんの)妹と知られると色眼鏡で見られる」って意味のことを話してらしたけど、女性が愛読者だって公言するのも少し抵抗があったかしらね。

M:その頃に「夕暮まで」がベストセラーになって、だいぶ世間の受け止め方にも変化があったのかも。でも吉行氏は美人好みではないことでも有名だったから、仮にそこで遭遇しても歯牙にもかけられなかったでしょうね、お姉様は。

F:…何それ、今さらお世辞なんか結構でございますわ。でも吉行さんの終生の文学的テーマは男女の関係の機微の一言に尽きるんでしょうけど、私はそれ以上に研ぎ澄まされた文体と感覚に魅せられるんだけど。

M:それは僕も同じですね。だからむしろ梶井基次郎の流れを汲むような短編こそが吉行氏の真骨頂だったのかと。あとはやっぱりエッセイでしょうね。今どきの作家なんかがとても追いつけない芸の力ですよ。ほら、夕刊フジの名物企画だった百回連載エッセイ。吉行氏の「贋食物誌(連載時「すすめすすめ勝手にすすめ」)」に山口瞳「酒呑みの自己弁護」丸谷才一「男のポケット」と名作を生んだけど、今じゃ到底無理でしょうね。

F:でもとにかくモテるひとだったらしいけど、最初に籍を入れて娘さんをもうけた奥様とはずっと別居状態で、それからは宮城まり子さんと長く事実婚でらしたのよね。今の世の中じゃあ集中砲火でしょうけど、まあ良き時代だったのかしら。

M:まあ宮城まり子さんは吉行氏のミューズでもあったんでしょうし。ただしその後の「暗室」のモデルの女性やその他のひとが吉行氏の没後に暴露本まがいのものを書いたのは、時代の趨勢のはしりだったのかなぁ。

(承前)

 

「消防士の男」の名が判るまで、誰も寝てはならぬ?

Féminin:…なあに、珍しく大笑いして。

Masculin:いや、TVのニュース観てたらあんまり可笑しくって…「東京消防庁の24歳消防士の男を警視庁が逮捕 職場の飲み会後に飲酒運転し自転車の男性をひき逃げか」と見出しがあったんですけど、送検される本人の映像に「消防士の男(24)」てテロップが。

F:何それ、容疑者の姿を映しといて名前は出さないの?妙な報道ねぇ、逆に名前を公表して姿は見せない方が普通だけど…。

M:しかも日テレ、TBS、フジと全て同じ扱いなんですよ。消防庁が名前を発表しなかったんでしょうけど見事な横並びで。まあ消防士だから武士の情けってわけでもないけど、まだ若く将来のある身だから名前は…なんて当局から申し入れがあったのかも。

F:でもしっかり顔はオンエアされちゃったんでしょ?だったら知り合いにはバレバレだし、実家のご近所からもお宅の息子さんよねアレなんて無遠慮に訊かれるでしょうし、名前だけを伏せた理由がおよそ判らないわね。そもそも容疑者段階で推定無罪だからって理由なら、全ての容疑者はその姿も実名も報道するべきじゃないわよね。

M:まあちょっとした謎事件ですね。でも起訴されれば重い処分は免れないでしょうし、職場の飲み会後にしでかした事故だから仮に同席していた上司や同僚もクルマで帰宅することを見て見ぬふりしていたとすれば、下手すりゃ飲酒運転幇助で累が及びますしね。

F:だったらなおのこと姿を撮らせて名前を伏せる理由が不明じゃないかしら。しかも三局横一線で。「今宵あの者の名が判るまで、誰も寝てはならぬ」なんてね。

M:トゥーランドット姫のお出ましですね。もしかしたら「ケシボウ・シノオ」さんなんですかねぇ(笑)。

(Fin)

「パリで一緒に」(’63年米)〜シズル感がいささか足りませぬ…。

Masculin:「リメイク」について…なんて大げさですけど。

Féminin:…って、これはジュリアン・デュヴィヴィエアンリエットの巴里祭」(’52年仏)のリメイクよね。まあフランス映画のハリウッドリメイクって沢山あるけど…。

M:…けどって、何か保留条件付きみたいですね。確かに成功したとは言い難いのが大半で…「恐怖の報酬」「勝手にしやがれ」「赤ちゃんに乾杯!」「最強のふたり」等々。残念ながら手間とコストをかければ上手く行くとは。

F:何だかどれもブレス鶏のロティ(ロースト)をケン○ッキーフライドチキンに仕立て直したみたいよね…それともタルト・タタンをパイシートで包んでアップルパイに文字通り焼き直したとか。また食いしん坊って笑われちゃいますけど。

M:えぇ、百も承知ですから。でもかなり昔、僕が牛スネ肉と野菜をじっくり煮込んだポトフーをご馳走した翌日、残りのスープで一から調合したスパイスと自家製のルーを伸ばしたビーフカレーもお気に召しましたでしょ?

F:うん、あれはポトフーもだったけどとっても美味しかったわ。だからやっぱりリメイクって難しいのね。でも黒澤明「用心棒」をマカロニ・ウエスタンでリメイクしたセルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」やハリウッドでも「七人の侍」のジョン・スタージェス「荒野の七人」は悪くないんじゃない?まあお刺身をカルパッチョカリフォルニアロールにしたようなものかもだけど。

M:確かにね。だから映画同様に日本料理はあくまで素材としてリメイクするのに向いてるけど、フランス料理はそのエスプリごとリメイクするには不向きってことかなぁ…前置きが長くなりましたけど、これを最初にご覧になったのは?

F:…確か’72年の夏、リヴァイヴァルのロードショーだったわ。大学に上がった年にボーイフレンドと…名前も顔も覚えてないけどその後は銀座みゆき通りのキャンドルで一緒にチキンバスケット食べたわ。貴方は?

M:…気の毒だなぁ、そのBFも。高い競争率かいくぐってデートにこぎつけたのにお姉様の財布代わりであっさり…えぇ、僕も同じく丸の内ピカデリーでしたね。ほらその前年にやっぱりリヴァイヴァルで「おしゃれ泥棒」を観てオードリーのとりこになり、名画座で「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「いつも2人で」と追っかけた後だから。

F:前にも言ってたけど「ぴあ」なんかの情報誌も無い頃、新聞の映画演劇欄を見て名画座巡りをしたんでしょ。大した情熱ですこと。でも分かるわ。私も小学生の時、両親と一緒に「マイ・フェア・レディ」をロードショーで観て、何て素敵なひとなんでしょうって思ったもの。

M:そうでしょう、だからお分かりでしょ、まだお姉様と出逢う前の僕がたちどころにオードリーのとりこになったのは。

F:ふ~ん、でもその翌年くらいよね。初対面の年上の私に熱烈にアプローチしてきたのは…たまたま立ち寄ったアナタの高校の学園祭で…まあそれから長いこと、お互いに山あり谷ありで未だにこんなお付き合いになってるのもビックリですけど。

M:まあそれはともかく、正直なところオードリーの主演作としても、これはせいぜい中の下ってとこですね。

F:あらずいぶん厳しめね…まあ仕方ないかしら。特にパリを舞台にした他の「パリの恋人」「シャレード」「おしゃれ泥棒」に比べるとね。フランス人に比べてもオードリーほどパリの似合う女優さんはいなかったけど、これは内容も少し散漫だからかしら…大人のおとぎ話としては悪くないんでしょうけど。

M:まあオードリーの主演作品って、多かれ少なかれ大人のおとぎ話ですからね…極めて良質な。他はスタンリー・ドーネンが二作にウィリアム・ワイラーですけど、やっぱりどちらもオードリーの魅力を知り尽くした名匠ですよね。これのリチャード・クワインキム・ノヴァクとの「逢う時はいつも他人」や「媚薬」なんかは良い出来だったけど、これはメタフィクション的な脚本のあえて言うなら散漫さにも足を引っ張られた感が。

F:仕掛けは多彩なのに肝心な点が不足ね。ウィリアム・ホールデンはオードリーと主演級で二度共演したただ一人の俳優だけど、「麗しのサブリナ」より渋さが加わって悪くないのにトニー・カーティス以下カメオ出演ばかり多彩で味のある脇役が少ないし、音楽も他のパリを舞台にしたオードリー作品のガーシュウィンヘンリー・マンシーニジョン・ウィリアムズと比べるまでもないわ。

M:これと「シャレード」は続けざまにパリで撮られたんで、両方に起用されたキャメラのチャールズ・ラングはさすがにオードリーの魅力を知り尽くしてますけどね。その間オードリーは存分にパリでの暮らしを愉しんだそうですけど、これについては残念ながら作品の出来に結びつかなかったのかなぁ。

F:原題は"Paris When it Sizzles(焼けつきそうなパリ)"だけど、作品としては残念ながら"Paris When it Freezes(凍りつきそうなパリ)"だったのかしらね…。

(承前)

馬鹿も休み休み言いやがれ!

 つい今しがた、公共放送の「新プロジェクトX」とかのオープニングで、ナレーターが「東京のど真ん中」と言い放ったが、「ど」とは中世以降の関西の接頭語だということは常識の範疇ではないのか?関東ならば「東京のまん真ん中」とでも言うのが当たり前以前の常識だろう。「皆様のN○K」が聞いて呆れるというもの。恥を知れ、また受信料を返せ!

極私的「キャンディーズ」の思い出。

Féminin:…えっ、なあに。キャンディーズってあのランちゃんミキちゃんスーちゃんの…アナタ興味があったの?

Masculin:ちょっと、そんなわけないでしょう、長いお付き合いで「花の中三トリオ」とかあの手のアイドルには同世代の連中と違ってまるで無関心だったのを良くご存知じゃないですか、少年の昔から。

F:うん確かにね。知り合った頃から背伸びしてたわけでもないんでしょうけど妙に大人びた可愛くない「年下の男の子」だったし。それがまた今頃どうして?

M:お姉様は僕にとって「やさしい悪魔」そのものでしたけどね…いやぁ、たまたま気付いたんですけど、今日4月4日はそのキャンディーズがファイナルカーニバルと題して解散コンサートを開いた日なんですよ、1978(昭和53)年。プロ野球開幕直後の後楽園球場に五万五千もの観客を集めて。

F:うん、何だか大変な騒ぎだったのは覚えてるわ。巨人ファンのウチの父も、後楽園に野球以外でそれだけ若い者を集めるのは大したものだなぁって妙に感心してたし…まあ平和な時代の学徒動員てとこかなんて皮肉もね。

M:ハハァ…それでまた妙なことを思い出したんですけどその日からひと月半ほどの5月下旬の某日、今は無き秋葉原石丸電気本店3階のレコード売場を目指していたんです。例によってクラシック輸入盤の新譜をあさりに。

F:毎度の立ち回り先ね、大学からも近かったのを良いことに。逢う時の大半はあそこの黄色いレコード袋を抱えてたわ。それでそのまままだ観光地化なんかしてなかった連雀町かんだやぶそばで待ち合わせたりもしたわね。生意気にも老舗のお蕎麦屋さんで夕方から一杯なんてシブい愉しみをもう覚えてたんだから。あいやきや天だねでお銚子あげて、せいろ二枚くらいで仕上げて…でもあの頃はインバウンドのお客さんなんかいなかったから、その時間ならゆっくり過ごせたのにね…最近はもう一年中が大晦日みたいらしいわ。

M:…階段を上がってると上階から手提げ袋を下げいかにもウキウキした様子を隠さない見覚えのある男が。ほら、お話したでしょう、ずっとピアノをやってた中高の同期でその五年後’83年に伝説的ピアニストのヴラディーミル・ホロヴィッツ初来日の時、チケット入手で一緒に銀座で徹夜して並んだ奴で。

F:あぁ、確かずっとホロヴィッツのファンで、来日の前にもシアトルだったかまで聴きに出かけたってひとよね。何かレコードを買ってらしたんでしょ。

M:まあとりあえず呼び止めたんですけど、その瞬間何故かソイツの顔に明らかな狼狽えの色が浮かんだのを見逃さなかったんですよ。一瞬怪訝に思いましたけど構わずに

「何買ったんだい、オペラの全曲盤か?へぇ、ポスター付きかぁ…」と手提げの中を無遠慮に覗きこもうとしたら、一瞬後ずさりした彼奴はすぐに観念したかの様子で

「…ウ~ン、実はキャンディーズのライヴ盤なんだよ、先月の。言わなかったけどデビュー以来ずっとファンだったんだ…みんなで笑いものにしてくれよ!」と大型電器店の階段で笑撃の告白で。吹き出しそうになりましたけどとっさに

「いやぁ、そんなことはしないよ」と取り繕いました。

F:へぇ、貴方と一緒でクラシックばかり聴いてたはずのひとがね…カトリックの男子校だからカミングアウトしにくかったのかしら。でもそれくらいの弱点があっても不思議ないでしょう。デビューから追っかけてたんでしょうし…同年代のアイドルにまるで無関心な誰かさんの方が変わってたのよ。4月4日の後楽園でも、もしかしたら五万五千分の一だったんじゃないその方。

M:まあそれはともかく奴としては天網恢恢じゃないけどよりによってマズい相手に出くわしたと思ったでしょうし、一刻も早く帰宅して聴きたいでしょうからすぐに解放してやり、僕も輸入盤を二〜三枚買って帰り、さっそく共通の友人に電話でことの顛末を話して二人で大笑いしましたけどね(笑)。顔を合わせれば

ホロヴィッツシューマンはさぁ…」なんて話しかしなかった奴が、実はキャンディーズのデビュー以来の大ファンだったなんて。

F:本当にワルいひとね。そう言えば岩城宏之さんがエッセイで書いてらしたんじゃない。ある日、山本直純さんが電話して来て、受話器の向こうで大はしゃぎして黛敏郎さんの弱点が分かったぞって。何でもポロッとインスタントのソース焼きそばが好きだって口を滑らせたんだとか。

M:えぇ、僕も読みましたねそれ。直純氏は

「黛のヤツ、いっつも気取って食通の権化みたいな顔してやがるくせに、本当の大好物はインスタント焼きそばなんだと、ギャハハハハ!」って大変な喜びようだったとやら。確かに黛氏は「題名のない音楽会」の海外ロケでも「料理と音楽におけるフランスの栄光」てタイトルでリヨン郊外のポール・ボキューズ本店に出かけたりしてましたからね。まあ誰にも弱点があるってことで。

F:そうよ。アナタだってアイドルなんかには無関心だったけど、他に幾つも弱点があったのは良〜く存じてますから♡。

M:…おっと、また何やら雲行きが…。

(Fin)

「テキサスの五人の仲間」(’66米)〜エイプリルフールに、この一本?

Masculin:これをわが家でご覧いただいたのは、もう四半世紀ほど昔、まだVHSビデオの頃で。憶えてらっしゃいます?

Féminin:うん、そうだったわね…あら、ちょうど今日…4月1日じゃなかった?

M:そうなんですよ、いやその日にこそ観ていただきたかった映画だったんで。また公開時、丸谷才一氏がまさにその「エイプリルフール!」って題で批評を書いてらして。だけどあの晩、ラスト直前のお姉様のお顔ったらなかったですね。名うての美女がポカンと口を開け、あんなにも呆気にとられて(笑)。それまでの、いやその後の長いお付き合いでもおよそ見たことのなかった無防備さだったからなぁ。

F:ウ~ン、だってメインストーリーにはジーンとくる一応の大団円があって、それからホロリとさせるエピローグが続いて、まあ撃ち合いもないし誰も死なないけど役者は揃ってて良く出来たハートウォーミングなコメディ西部劇だったわねって思ってエンドロールを待っていたらまさかの…あら、いけない、これ以上はネタバレになるから。でもヒドイわ、こっそりソファの隣でワタシの様子をうかがってたのね。家に帰って、まだ元気だったウチの父に話したら

「あぁ、あれねぇ良く覚えてるよ。そうか、彼にしてやられたなぁ」って笑ってたの。封切りで母と一緒に観て、二人揃ってワタシ同様何が起きたのかって口をポカンだったんですって。でも映画館なら明るくなるまで時間があるし、呆気にとられてるのは二人を含めて場内のお客さん全てですものね。自分だけ知ってて横で様子をうかがってるのはズルいわよ。

M:ハッハ、すみません。そもそも僕も初めて観たのは高校の頃に淀川長治氏の「日曜洋画劇場」でだったんですよ。何の予備知識もなく、なかなかの豪華キャストだなぁと思って。そしたらオープニング解説では深刻な顔の淀川氏が

「…街にやって来たヘンリー・フォンダの博奕好きのお父つぁんがジョアン・ウッドワードのおっ母さんといたいけな子供が必死に止めるのも聞かず、ポーカーの大勝負に巻き込まれてしまうコワイコワ〜イお話なんですね…ハイ、また後でお会いしましょ!」とまるでホラー作品みたいな前フリで始まり、2時間弱後のエンディングでは一転満面の笑みを浮かべて

「ハイ!アナタ、見事に騙されましたね(笑)」

 確かにボクもまんまと罠にはまり呆気にとられたんだけど、でも騙される快感みたいなものを確実に味わいましたね。

F:タイトルも原題の"A Big Hand for the Little Lady"はストレートだけど、邦題の「〜五人の仲間」は年に一度のポーカーの大勝負に集まるジェイソン・ロバーズたち町の五人の名士のことなのかと思ってたら実は…ってなかなかひねりの効いたタイトルなのね。昔の配給会社の宣伝部はセンスがあったわ。最近はただカタカナにするだけで。

M:プロデューサー兼監督のフィールダー・クックはTV出身で、あの名作医療ドラマ「ベン・ケーシー」の第一話も撮ってるんですね。また音楽のデイヴィッド・ラクシンも「ベン・ケーシー」の印象的なオープニングテーマ曲の作曲者で…そう言えば先年入院した時、ストレッチャーで廊下を移動してて天井を見ながらまるで「ベン・ケーシー」のタイトルバックだなぁと思い、若い医師やナースに話してもまるで無反応でしたね。ところがその後、またまた救急搬送されてER(緊急救命室)で懲りもせずナースに同じ話をしたら「あら、私知ってます」と。訊けば定年後再雇用で同世代近くのひとでした。

F:またまたお年を感じたのね。それにしてもERでそんな昔のTVの話してるんだから本当に「のんきな患者」だわ、相変わらず。でもコン・ゲームものとしては「スティング」って名作があるけど、これもあれほど巧妙な仕掛けの連続ってわけじゃなくストレートでシンプルな造りとはいえ記憶に残る一本ね…。

(Fin)