ヘンリー・マンシーニ生誕100年〜「ムーン・リヴァー」のほとりから。

Féminin:今日はヘンリー・マンシーニのお誕生日ね、3日前の吉行淳之介さんと同じく100年で亡くなってからも30年で。

Masculin:そう、でやっぱり真っ先に語られるのは何と言っても「ムーン・リヴァー」ですね。マンシーニにとっても名刺代わりとでも。

F:誰かさんは中学生の頃、原曲のジョニー・マーサーの歌詞を一所懸命に憶えたのよね(笑)。

M:えぇ、おかげさまで今でも全部そらで歌えますよ、"Moon river, wider than a mile, I'm crossin' you in style some day…"と、アンディ・ウィリアムスと同じキーでね。でもマンシーニは’50年代からスタジオミュージシャンB級映画の作曲家として活躍を始めていたけど、やっぱりブレイク・エドワーズと出逢ったのが共にステップアップするきっかけだったようですね。

F:ほら、スタンダードナンバーになってる「ピーター・ガン」のテーマって、エドワーズとマンシーニが最初に組んだ仕事なのね。エミー賞グラミー賞も受けて。

M:劇場用の本編でもその後の「ペティコート作戦」を皮切りにエドワーズの監督作品のほとんどを担当したんだから、スティーヴン・スピルバーグジョン・ウィリアムズに並ぶ名コンビですね。特にその「ムーン・リヴァー」でアカデミー賞を受けた「ティファニーで朝食を」の成功が決定的で。

F:ねぇ、監督と作曲家ってその二組みたいに切っても切れない名コンビがある一方で、プロデューサーからのあてがい扶持なのかいろんな作曲家と組んでる監督もいるでしょ。あれはどうなのかしら…。

M:良い質問ですねぇ、確かにデイヴィッド・リーンとモーリス・ジャールルキーノ・ヴィスコンティ及びフェデリコ・フェリーニニーノ・ロータのようなコンビの一方で、アルフレッド・ヒッチコックウィリアム・ワイラーのようにいろんな作曲家と組んでる例も。そこで思い出すのがそれら巨匠の大半と組んだモーリス・ジャールが昔語ってたエピソードで。

F:何て言ってたの、ジャールは。

M:まずリーンとヴィスコンティについては監督としての力量は勿論、音楽に対する見識も絶賛でした。一方ヒッチコックはあまり音楽的なセンスが無く、ほぼ作曲家に丸投げだったそうなんです。だから「引き裂かれたカーテン」で長年組んだバーナード・ハーマンとケンカ別れしてからは精彩を欠いたというのが僕の見立てで。またワイラーは作曲家としては特にやり難いひとだったと。

F:どういう点が?

M:まず一曲新しいナンバーを書いてピアノで弾くと

「うん、結構だ。もう一曲書いてくれ」また書いて弾き聴かせると

「うん、それも結構、だけどもう一曲」の繰り返しで、キリもなければ手応えもなしだったんですって。「コレクター」の主演女優サマンサ・エッガーも撮影現場でワイラーが同様に

「カット!もう一度」の連続で、具体的なことをまるで言ってくれないとジャールに愚痴をこぼしたそうで、有名な「90テイク・ワイラー」は作曲家に対しても同じだったと。

F:ウ~ン、確かにそれじゃあ仕事もし難いし張り合いもないわよね。演出のスタイルはワイラーを尊敬していた小津安二郎監督と同じだわ…でも現場での俳優に対する演技付けならまだしも作曲家に対してはちょっと。

M:話を戻すとマンシーニが来日時のインタビューで、映画音楽としての会心作は「雨の中の兵隊」と「いつも2人で」だって断言していたんですよ。

F:「いつも〜」は時系列を自由に行き来する脚本も演出も当時としては新鮮でお洒落だし、アナタの永遠の憧れオードリー・ヘプバーンももちろん素敵だし、マンシーニの音楽も確かに自信作なんだって納得させられるわね。脚本を読んで気に入ったオードリー直々にマンシーニにオファーしたんですって?

M:えぇ、同じ20世紀フォックスで撮ったオードリーの前作「おしゃれ泥棒」もマンシーニにオファーがあったんですけど多忙で断り、代わりに請けたマンシーニのアシスタントだったジョン・ウィリアムズが良い仕事をしたんでマンシーニも気合が入ってたんでしょう。結果あの通りで。「雨の中の〜」はスティーヴ・マックィーンとしては珍しい軍隊コメディだけど…。

F:二人ともきちんと観てないから語る資格がないわね。でもやっぱり全盛期は’60年代で’70年代になると「ピンク・パンサー」シリーズ以外あんまり…。

M:’80年代でも「スペースバンパイア」なんか、もともとの作風も内容と合わなかったのかもだけど楽想の枯渇のようにも…。

F:そう言えばやっぱり来日時に「ムーン・リヴァー」について

「沢山の素晴らしい歌手が歌ってくれたが、私がベストと思うのは作中のオードリーだよ。決して上手くはなかったが、あれほど真情の溢れる歌唱は他の誰にも無かったね」って言ってたんですってね。あの窓辺で髪を乾かしギターを爪弾きながら歌うシーン…アナタも同感なんでしょ?

M:言わずもがなですよ。’78年にフジテレビで初オンエアされた時は未だVTRがわが家に無かったんで、オープンリールのデッキで録音しましたからね。

(承前)