「ひとりの得難き存在」

Féminin:…今日は長嶋茂雄さんのお誕生日ね、満88歳。

Masculin:そうですね、このところあまり姿をお見せにならないけど、病に倒れられてからも来月でちょうど二十年で。

F:貴方のお母様も同じご病気で…三ヶ月後だったわね。

M:えぇ、いくら長年の大ファンでも病気まで付き合わなくても(苦笑)。

F:あの’59年6月の天覧試合は現場の後楽園球場でご覧になってたんですって?

M:そうなんですよ。サヨナラ弾の瞬間を昭和天皇香淳皇后のお姿を背景にとらえた有名な写真にも一緒に観戦に行った叔父としっかり写り込んでます、スタンドの中段で。

F:あら、お母様のお腹の中で一緒に観てたっておっしゃってなかった?

M:ハッハ、それはいささかサバ読みで、本当は家で祖母とお留守番、まだ二歳半でしたから。で、その二年半後の’61年に丸の内東京會舘のクリスマスパーティに特別ゲストとしていらしたんですよ、ミスターが。王貞治氏も一緒で。

F:さすがに東京會舘ね、特別ゲストがON砲だなんて。握手していただいたのよね。

M:えぇ、母に腕を掴まれて半ば強引に(笑)。でもあの瞬間、生涯ファンであり続ける決意を固めました。それからはしばしば後楽園で試合は観たけど。

F:私たち知り合ったのが巨人V9の最後の年だったから、ミスターの現役をグラウンドで一緒に観てないのよね。ほら’74年10月14日の引退試合、あの日は家で父と一緒にTVを観てたの。どちらかと言うといつも飄々としてた大正生まれのウチの父が「わが巨人軍は永久に不滅です!」の一言で珍しくウルッとなってたのを良く覚えてるわ。東京生まれで一応戦前からの巨人軍ファンではあったんだけど…そうそう、川上監督と同い年だったんだわ。

M:それからこれも母と一緒だったんですけど’92年10月、監督復帰の正式発表の前夜に西麻布の中國飯店で。

F:ご常連でらしたのよね、また12年ぶりのカムバックの前日ね。

M:そう、ほらご存知のように上海蟹のピークで店もごった返してたんですけど、ミスターが姿を見せる前にもちょっと面白いことが。

F:何なに、どうしたの?

M:いや満席で向こうも見渡せないほどなのに、何処からか聞き覚えのある特徴的で早口の女性の声がするんです。それも喧騒を突き抜けるがごとくに。すぐどなたか分かったんですけど。

F:…じれったいわね、どなただったの?

M:黒柳徹子さんの声に間違い無かったんですよ。ところが声はすれども姿は…でしばらくして少しお客さんが引いたら我々のいたテーブルとほぼ対角線の位置にいらっしゃいました。飯沢匡氏と山藤章二氏がご一緒で。

F:満席の中國飯店でお声が通るんだからさすがに徹子さんねぇ(笑)。

M:同じ頃にミスターシンパのアナウンサーや記者も姿を見せ、徹子さんたちのテーブルの向こうの個室に入って行ったんで、ハハァこれは正式発表前夜の決起集会だろうと確信し、母にももうすぐミスターが現れるよって伝えながら二人で蟹をほじってました。

F:何だかとっても贅沢ね、上海蟹を食べながら長嶋さんの登場を待ってるなんて。

M:やがてボクが紹興酒を注いでる時に母が「あらあら!」と声を上げ、振り返るとミスターが御入来で…その瞬間、喧騒に満ちていた店内は嘘のように静まり返り、一筋のスポットライトが当たっているがごとくで。

F:お母様と貴方は予想してたけど、他のお客さんはさぞビックリだったでしょうねぇ。

M:そのスポットと全てのお客さんの視線を一身に浴びながらツカツカと店奥の個室に向かったミスターがその手前にいる徹子さんに気づき、テーブル横で挨拶すると熱烈阪神ファンの山藤氏は立ち上がり最敬礼してました…そうそう、ミスターの一つ下の同じお誕生日なんですよ。

(承前)