「青い山脈」(’63年日活)〜誰も石坂洋次郎を読まない。

Masculin:これ、どこでご覧になりました?

Féminin:…えっ何、出し抜けに…ウ~ン確か伊豆の天城日活ホテルで観たわ、中学一年の夏休みだから’66年。

M:あぁ、やっぱり。僕も同じです、小学四年だったけど。あそこには試写室ほどの今で言うミニシアターがあって日活の旧作を上映してたんですよね。そう言えばホテルでお人形さんみたいに素敵な年上の美少女に出逢った覚えが。

F:ふ~ん、ワタシも可愛いけどいかにもナマイキそうな年下の男の子を見かけたわ…な〜んて、そんな運命の出逢いなんかあったかしら。

M:そうですねぇ、実際の出逢いはまだ数年後で…毎年行ってらしたんですか?

F:うぅん、あの年だけ。父が部屋が取れたから行こうって。翌年に母の具合が悪くなったから、最後の家族旅行だったわ…貴方は毎年行ってたの?

M:いや僕も一度だけ。毎年行ってたのは伊豆でも川奈ホテルで。でも当時の映画大手五社でホテルを持ってたのは日活だけでしたね。今はペニンシュラが建ってる日比谷の交差点の角にあった日活国際ホテルはスモールラグジュアリーホテルの先駆けで、マリリン・モンローも泊まり石原裕次郎夫妻の結婚式は大イベントだったと。

F:天城もあの頃はゴルフ場を併設した立派なリゾートだったけど、その後日活が傾いて売却したのよね。あのミニシアターも私たちが行った夏休みはファミリー向けの作品を上映してたけど…。

M:「ジャングル大帝」の劇場版も観たなあ。でも斜陽になってからはロマンポルノなんかかけてたんですかねぇ…ところでもう二十年以上前かなぁ、評論家の福田和也が書いてたんですよ。というのはその当時各社の文庫で入手可能な石坂洋次郎の作品はこの「青い山脈」だけで他の作品は全て品切れか絶版だと。

F:…ふ~ん、でも今世紀の初めくらいでしょう、それこそこの「青い山脈」が制作された頃から’80年代くらいまでは映画にTVにと映像化が引きも切らずだったと思うけど…。

M:そうですね、「若い人」「何処へ」「光る海」「颱風とざくろ」「ある日わたしは」等々。それが急速に読まれなくなったと。

F:あれは’70年代の終わりくらいだったかしら、その石坂さんが日比谷映画劇場の前で人待ち顔で立ってらっしゃるのをお見かけしたけど…あら、一緒だったわよね。

M:えぇ、恰幅の良い方だったから目立ってらして。あの頃はまだ流行作家らしい貫禄もおありだったのかなぁ。

F:その同じ頃ね、「徹子の部屋」に今東光和尚が出てらして、お話が同業の方々のゴシップになって和尚が石坂さんの奥様のことを

「ところがコイツが稀代の悪妻でなぁ…」って言ったら途端に徹子さんが

「ハイ、そこまででストップ!」って止めたのが可笑しかったわ(笑)。

M:確か石坂氏ご本人も昔

「小説は上手いけど人間は良くないと言われるより、その逆に小説は大したことないが良い奴だと言われたい」と洩らしてらしたとか。だから無理もないんですよ氏が忘れ去られかけているのも。文学史的に名を残してる作家なんて性格破綻者とは言わずともほぼ例外なく人間的には特大の疑問符が付くんだから。

F:そうね、それでもこの「青い山脈」が何度もの映画化で記憶されてるのは幸運なのかもね。ところで映画だとやっぱり’49年の今井正監督作品が有名だけど、これもなかなかじゃない?

M:そうですね、我々小さい頃に観たせいもあるけど、当時の日活オールスターで華やかだし…ただし今でも第一線で活躍中なのが吉永小百合高橋英樹のお二方だけなのが時の流れを痛感させられますね。

F:芦川いづみさんは早くに引退されてある意味今井正作品の原節子さんと似た身の処し方だったんだけど、ずっと独身で隠遁生活だった原さんと違うのはまだ売れてなかった藤竜也さんと結婚してずっと支えてらしたことね。

M:藤竜也もその後大成しましたし、立派な内助の功ですね。誰かさんもそうしてボクを支えてくれたら…。

F:あら何よ今さら。支えて欲しいどころか逃げ回ってばかりだったくせに。でも芦川さんの生き方は同じ女性として心から尊敬するわ。脇役では北林谷栄さんと左卜全さんが印象的ね。

M:そうそう、北林さんて華族の夫人から農家のおばあちゃんまでどんな役でも見事にこなして。これでも生真面目な女性教師で「変しい変しい」のくだりなんか爆笑ものですね。卜全氏の可笑しさも相変わらずで。

F:三島雅夫さんのPTA会長は今井作品と同じなのね。善良な人からこれみたいな腹に一物的な役にヤクザの大親分まで幅の広いひとだったわ。他の映画化でも志村喬さんや大滝秀治さんに小松方正さんとか上手い役者さんがやりたがる役だったのね。

(承前)