「冬の華」(’78年東映)〜左肩を落として去る男の後ろ姿について。

Féminin:早いものね、高倉健さんが亡くなって今年でもう十年目だわ…ほら、今もある銀座一丁目ブラッスリーD.P.でお見かけしたのは何年だったかしら。

M:あれは’86年2月の土曜日でしたね確か。まあ気軽な店だから予約無しでふらりと出かけ、ドアを開けたらいきなり真正面に健さんがいらしたんでわれわれ本当にビックリしたけど。

F:いつもは二階のレストランPにお見えだったんでしょ、同じ経営の。

M:えぇ、後日聞いた話ではあの晩は二階が満席だったんで急遽一階を貸し切りにして対応してたそうで。でもあちらも知らない人間が突然入って来てビックリされたのかまともに目が合っちゃいましたからね。こっちが「不器用ですから…」と言いそうになったけど…。

F:私はお姿が良く見えなかったんだけど、何年か後であの人と出かけたホテルOの和食Yにあった頃の鉄板焼コーナーでもお見かけしたわ、小林稔侍さんとご一緒だったけど。ねぇ、でも全盛期の東映任侠映画って、ほとんど私たち観てないのよね…。

M:そうですねぇ、その時代僕はまだ母に連れられて東宝の特撮ものを観てた幼稚園〜小学生の頃で、中学に上がったら出かけるのはもう外国作品ばかりだったから。お姉様もヤクザ映画には縁遠かったでしょうしね、ご両親も関心がおありじゃなかったろうし、ご本人も正真正銘の箱入りで深窓の令嬢だし…。

F:…何かトゲがあるわねぇ…うん、母が亡くなった中学の頃からはフランス映画なんかは父と一緒だったし、その後は女子校の同級生とばっかりだからさすがにね。少し上の人達だとほら確か庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」にあったけど男の子同士でヤクザ映画に出かけて、観終わったら感化されちゃって皆肩をそびやかして出て来るだなんてくだりが。貴方は世代差で私は男女差ってわけね。

M:そんな我々が例外的に好きな健さん主演のヤクザ映画がこの「冬の華」で。まあだから制作当時は東映社内でも反対の声が多かったそうで。

F:当時からヤクザ版「あしながおじさん」なんて言われてたらしいけど、タイトルからモメたんですってね。

M:えぇ、「冬の華」なんて気取った題じゃあ売れっこないと岡田茂社長が「網走の天使」もしくは「網走の花嫁」に強引に変更しようと。

F:岡田社長って、タイトルの付け方には一家言ていうか大変な自信をお持ちだったんでしょ(笑)。

M:伝説と化してますね、撮影所長時代から大半を自らチェックしてたとか。一番スゴかったのは東宝が芸術座にかけた「あかさたな」って芝居を東映が映画化した時、「妾二十一人 ど助平一代」(’69)とやらかしたので。

F:(笑)何それ、とても口に出せないわね…。

M:事実、佐久間良子さんが取材で新作はと問われてもタイトルを言えずに東映退社の決意を固めたとか。それに次ぐのでは梅宮辰夫氏主演で「夜の手配師 すけ千人斬り」(’71)なんてのも。黒岩重吾氏の原作タイトルは「背徳の伝道師」だったそうで、それでも少しも騒がず「原作料はいただきますよ」と言い放ったとか。

F:これの脚本は倉本聰さんだけど揉めなかった…はずもないわね。

M:ギャラ…じゃない脚本の引き上げをちらつかせて抵抗したそうで。でも健さんも後押ししてくれたそうですから、まあヤレヤレでしたね。またヒロインには当初山口百恵を想定してたけど幻に終わったのも有名な話で。

F:倉本さんて大変な百恵ちゃんファンだったのよね。一頃飼い犬も「山口」って名前だったとか。

M:まあ「百恵友和コンビ」やら東宝への配慮やらヤクザ映画だからとか幾つも理由があったんでしょうけど、少し後に映画評論家の白井佳夫氏が直接聞いたらそもそもプロダクションが本人に話を通してすらいなかったとか。

F:聞いてたら百恵ちゃんもやりたがったでしょうにね…ほら少し前に出た倉本さんの自伝「破れ星、燃えた」で、そもそも健さんとの初めての出会いの場は大原麗子さんの仲立ちで青山の喫茶店とあるからきっと今もあるWね。映画でチャイコフスキーのピアノ協奏曲が流れてるお店はスタッフの服装といい、明らかにあそこを映してるし。

M:その自伝でも触れてますけど勝新太郎氏に連れてかれた神戸のクラブで同席したその筋の紳士たちの言動や立ち居振る舞いをそのまま作中に取り入れたんだとか。ほら

「…魂消(たまげ)たよ、ウチのガキ慶應受かりやがったよ」

「おい、どんな手使った?」

「いや、ホンマんとこナンボ払うたんや?」なんてやりとりは現場で飛び交ったセリフそのままだとか。

F:その方たちがまるで若いカーマニアみたいに外国車の自慢するのも同時に仕入れたのね、きっと。でもカラオケの順番争いから抗争にまでなるのは本当としても勘弁してほしいわね。ただしその方たちのための総見試写会では「これぞヤクザや!」と大拍手だったんですってね…でもまだ良い時代だったのね、今ではその筋の方々に直接お目にかかってリアルな姿を取材するなんてご法度だから。

M:さっき出たチャイコフスキーも良く聴くと使われてるのは第1楽章の華麗にして長大な序奏だけなんですよね。第2楽章のピアノと木管の対話なんかもどこかで聴きたかったなぁ。まあクロード・チアリの哀切なギターソロとの対比としてはあれで十分だろうけど。

F:ねぇ、でもおよそそれまでのヤクザ映画とは一線を画した作品なのは確かよね。健さんの主人公が出所してきたら親分はシャガールの絵にぞっこんだったり、他の幹部は身近なことやクルマの話題にばかり夢中だったり。まあそれだから関西の勢力に侵食されるんでしょうけど…足を洗う気になるのももっともね。

M:ところがその気持ちを固めつつあった矢先に、かつてと同じような状況で今度は親分本人が敵対勢力の手にかかり、まるでリプレイのように再び寝返った子供のいる兄貴分を自ら始末するという皮肉にして酷薄な結末…倉本聰氏ならではの脚本ですねぇ。冒頭と円環を成すラストシーンのモノクロに転ずる健さんの表情は胸を打ちますね…無邪気な幼女の笑い声とともに。結局は己の殻から出ることの出来なかった男の運命的な悲劇で。

F:役者さんも皆さん適材適所だけど、特に板前役の小林稔侍さんはセリフは出所してきた健さん=秀次にかける「ご苦労様でした」のたった一言だけど印象的ね、終始思い詰めた表情で。小林亜星さんは単なるコメディリリーフなのが残念だったわ。あと小沢昭一さんの中華料理店主と健さんとのやりとり…というか小沢さんのセリフは完全にアドリブじゃない?

M:…そうですねぇ、「秀さん、もとビール呑むか…もーいーか…そだな、小便増やすだけのことだな…」なんて言ってる手前で健さんが懸命に笑いを噛み殺してるようで確実にそうでしょうね。ついでにその健さんの役名の加納秀次ですけど、倉本氏は「昭和残侠伝」の花田秀次郎から引き継いだと言ってますけど、その後の倉本脚本の健さんは全て「ヒデさん」なんですよ。いわく「駅 STATION」の三上英次、「海へ〜See you〜」の本間英次と。さらには先年のTV「やすらぎの郷」でも藤竜也が演じた健さんをモデルにした往年の任侠スターの名前は高井秀次で…大変なこだわりですね。

F:でも健さんが現役のヤクザに扮したのは確かこれが最後よね…「夜叉」では元ヤクザだったけど。東映との関係性の変化とかご自分のお年のこととかを考えてのことだったのかしら。

M:恐らくね…だからやっぱりこの「冬の華」は秀作という以上に、健さん自身がヤクザ映画にとどめを刺した重要な一本ということになるのかも…。

(Fin)