「タンポポ」(’85)そして「伊丹十三の台所」(つるとはな刊)。

Masculin:一昨日「シェーン」のお話したでしょ。それでってわけじゃないけどこの「タンポポ」を思い出して。

Féminin:そう言えば伊丹十三さんはストーリーの下敷きにしたっておっしゃってたわね。「ラーメン・ウェスタン」て旅の流れ者が母子の危機を救うって…あら、ちょっと違うかも。

M:そう、さすがお姉様のご明察で。「シェーン」は父親を含めた開拓者一家のために主人公が一肌脱ぐんで、未亡人母子を助けるのは「無法松の一生」なんですよ。

F:「無法松〜」って脚本は伊丹さんのお父様の伊丹万作さんよね…ウ~ン、むしろその影響が強いのかしら。

M:えぇ、伊丹氏はエッセイで「無法松〜」は晩年長く病床にあった父・万作の幼い自分に宛てた叱咤であると理解していたと。ですから「タンポポ」のタンクローリードライバーのゴロー(山崎努)とラーメン店主タンポポ(宮本信子)の息子ターボー(池内万平)の関係性は「無法松〜」そのものと思うんですよ。まあさすがに「無法松〜」のストーリーを下敷きにしたと広言するには衒いもあったんでしょうけど…ついでながら伊丹十三の本名=通名は池内岳彦だから、もしかして小さい頃にはターボーと呼ばれていたのかも。

F:でも公開された時からアナタ好きよね、この映画。「お葬式」以上に伊丹さんらしさに溢れてるって。

M:えぇ、「お葬式」はそれまで伊丹氏が役者として築いたものと自ら制作したドキュメンタリー作品などで身につけたノウハウを小津調で撮り上げたとでも称すべき意欲作かつ実験作だったと…まあそれが予想外の圧倒的な好評を得たわけで。それに対し「タンポポ」はさっきも話した基本のいささか陳腐なストーリーはそれとして、随所に挿入される食にまつわるエピソードが伊丹エッセイの具現化のようで…そこが僕の偏愛の理由です。

F:そうね、もう半世紀も前にこの「伊丹十三の台所」の巻頭にもある「スパゲッティのおいしい召し上がり方」を「女たちよ!」で読んで、さっそくナショナル麻布スーパーで材料一式仕入れてワタシにご馳走してくれたんですものね…その他にもいろいろ。それじゃあ「タンポポ」の各論に入りましょうか。

M:はい、そもそもこれのオリジンとして’84年秋からテレビ朝日系でオンエアされていた「愛川欽也の探検レストラン」て番組の企画があるんですよ。

F:えぇ、覚えてるわ。荻窪の街道沿いで人気店ふたつに挟まれてまるで流行ってないラーメン店を寄ってたかって負けないほどの人気店に仕立て上げるって大きなお世話そのものの企画だったわね。

M:ラーメン好き諸氏が味のアドヴァイスを与え、有名インテリアデザイナーが内装を手掛け、人気コピーライターが「突然、バカうま。」ってコピーを考え名のある書家が看板を書くって具合で。それを毎週逐一番組で報告するんだから、新装開店の時にはそれまで門前雀羅を張ってたのが一転市を成したのも当然で。ついでながらあの番組からは「タンポポ」以外にもキリンビールの名品ハートランドとJR小淵沢駅のこれまた名物駅弁「元気甲斐」が誕生しています。映画、ビール、駅弁と名作を三つも残したんだからある意味大した番組だったのかも。

F:ハイハイ、でもその人気になった荻窪のラーメン店はその後どうなったの?長続きしなかったんじゃ…。

M:おっしゃるとおりで。リニューアル後しばらくは気合の入った仕事ぶりだったのに、数ヶ月もしないうちに元の木阿弥だったとか。事情は様々だったんでしょうけど、さる料理評論家によれば主人がもともと志の無い人だったとかでTVの威光も薄れた頃ひっそりと店仕舞したとか…まあ不人気店にもそれなりの事情があったということで付け焼き刃は所詮それまでだったということかなぁ。

F:ふ~ん、でも志の無い人だなんてずいぶんな言いぐさね。おだてて木に登らせておいて落ちて転げたら我知らずで…料理評論家なんてそんな人ばっかりだったのよね。他にも地方の人気店をおだて上げ東京進出させといて逆に尾羽打ち枯らす羽目にさせたりとか。でも伊丹さんに監督第二作のヒントを与えたのは確かなのかしら。

M:えぇ、エンドロールにも企画協力として番組名とその評論家の名がありますからね。とにかく「お葬式」の大成功を受ける第二作の企画を考えていた伊丹氏にとっては渡りに舟だったんでしょうね。それで「シェーン」もしくは「無法松の一生」のようなメインストーリーに自分の書きためた食エッセイをエピソードとして散りばめるって特異な構成が出来上がったと。

F:でも確か公開当時はあんまり評価も高くなかったし興行成績も今ひとつだったんじゃない。

M:.そう、「お葬式」を大絶賛した某映画評論家も「拙速の見本」だなんて切り捨ててましたけど、それを全米公開のヒットで覆したようなもので。そうだ、「伊丹十三の台所」を読んでたら、伊丹氏は赤坂砂場の玉子焼を絶賛していて、誕生日プレゼントの有次の玉子焼き器で卵七つほどを使い連日再現に熱中したとか…結果満足出来た時に息子はニキビだらけだったと。

F:私たちもあれは大好きよね、出かけるのはもっぱら室町の本店だけど。でもアナタもお蕎麦屋さんの玉子焼の最高峰って言ってたわね、だから自分じゃ関西風の出汁巻しか作らないって。

M:やっぱり老舗蕎麦屋ならではのかえしや蕎麦汁あってのあの玉子焼と思うんですよ。だからきちんと引いた鰹節と昆布の一番出汁さえあればあとは巻く腕次第の出汁巻の方がハードルが低いですね。ご満足いただいてますでしょ?

F:えぇ、ワタシにはとっても巻けないほどふるふるとしてお出汁の旨味たっぷりの見事な出来ですわ…。

M:それで大滝秀治が禁じられてた鴨南、天ぷら蕎麦、お汁粉をまとめてやっつけようとし、餅を喉に詰まらせ七転八倒するのがその赤坂砂場の店奥の小上がりで。

F:あのシーンのお妾さんの念の押し方は何だかああなるのを予想してたみたいで怪しいわねぇ、放っといて銀行へ向かうし…またあそこの小上がりは座ったら他のお客様の目にも触れないから、お好きな方が多いのよね。十七世と十八世中村勘三郎さん親子とか…それからホテルのレストランでスパゲッティをものすごい大音声とともにすすり込んで、岡田茉莉子さんのマナー教室の先生を唖然とさせる外国人はアンドレ・ルコントさんよね、最初観た時にはエッと思ったわ。ほら昔の六本木のルコントで二階のティールームに上がる時、階段ですれ違うのに苦労したの(笑)。

M:恰幅の良い方でしたからね。ホテルオークラの開業時に請われて来日し、まさに日本のフランス菓子の父というべき名シェフパティシエだったから。一旦消えたルコントの名を弟子筋の方々が復活させたけど惜しくも再び灯を落としたようで。でもあのシーンは「ヨーロッパ退屈日記」にある「息詰る十分間」の陰画的再現ですね。

F:…確か伊丹さんがロンドンで「ロード・ジム」のスクリーンテストを受けるために向かった飛行機が行き先変更でニースに着き、空港のレストランで昼食がサーヴィスされて乗り合わせてた日本の国会議員が凄い音を立ててスパゲッティを食べ終るまで「他の日本人たちは身を固くしてじっとうなだれていた。息詰まるような十分間であった」ってアレね(笑)。それから夜のスーパーで食品をやたらと指で押す原泉さんと津川雅彦さんの店長のバトルは「女たちよ!」の「チーズについた指のあと」そのものね。

M:もうお一人、重役たちのフレンチ会食で赤面する専務は野口元夫氏で本名は吉野氏の日本橋吉野鮨本店の先々代で…本業より役者としてプロだった方なんですよね。それからノッポさんこと高見映氏のホームレスが作るプレーンオムレツをケチャップライスの上で開くオムライスは日本橋たいめいけんの名物として定着してるけど、「日本世間噺大系」の「プレーン・オムレツ」で伊丹氏にオムレツ作りの実践と戦前のコック修行を語ってるのはそのたいめいけんの初代で。

F:これの制作発表も以前の白木屋…じゃない東急日本橋店…でもなかったコレド日本橋裏にあったたいめいけんの三階広間で皆さんラーメンの丼を持ってしたのよね、洋食屋さんなのにラーメンも人気だったから。音楽だけど、リストの「レ・プレリュード」がメインテーマみたいに使われてるわね。あれはどうお思い?

M:「レ・プレリュード」のモットーとして掲げられてるのはラマルティーヌの「人生は死ヘの前奏曲である」って詩の一節ですけど、リストがどこまでそのモットーに忠実に作曲したかは正直分からないなぁ。曲全体は冒頭ベートーヴェンのOp.135の引用はもっともらしいけど、その後の展開はいかにも通俗名曲そのものですよね。だから伊丹氏の意図もこれだけでは正確には測りかねるかと。

F:ふ~ん、じゃあマーラー5番のアダージェットは?白服の男(役所広司)のテーマみたいな使い方だから、ヴィスコンティ「ベニスに死す」を意識したのは明らかよね…パロディ的に。

M:そう、しかも男と情婦(黒田福美)の食欲と性欲を合一視したような濡れ場から土砂降りの中で男が撃たれて死ぬシーンまで一貫して使ってるでしょ。そのことから伊丹氏の考えが視えてきますね。

F:あら、どういうこと?

M:ほらそれこそ多くの紋切り型の解説じゃあこのアダージェットはマーラーが妻アルマに宛てたラヴレターだなんて言い切ってますけどとんでもない話で。「ベニスに死す」でのヴィスコンティの天才的な着想でも分かるようにこのアダージェットは死と隣り合わせの曲なんですよ。同じマーラーの歌曲「我はこの世に忘られて」との主題の関連でもそれは明らかで。またバーンスタインは’68年にR.ケネディの追悼式典でこれを演奏していますし。

F:確かに「ベニスに死す」のラスト…実像とも幻影ともつかない美少年タジオの指し示す彼方へとアッシェンバッハが身を乗り出して崩れ落ちる場面にもこの曲が流れていたわね。

M:だからパロディというよりもむしろオマージュなのかも。と、ここまで考えると生と食と死をいずれも隣り合わせ、いや三位一体のごとくに伊丹氏が考えていたのが良くお判りでしょ、食いしん坊のお姉様なら。

F:…ワタシの食いしん坊はともかく、さっきの「レ・プレリュード」のモットーともつながってくるわね。

M:そう、それともう一つ。劇場用のトレイラー=予告編ではチャイコフスキー「悲愴」の第3楽章がフルに使われてて、これまた続く死を嫌でも想起させるアダージョ・ラメントーソの終楽章へとつながるのを意識させられるんですよ。

F:映画の中で描かれた死の場面はその白服の男と、瀕死の母親(三田和代)が父親(井川比佐志)の求めに応じ炒飯を拵えて子供たちにふるまい、直後に満足そうな微笑を浮かべて息絶えるのとふたつだけど、白服の男も苦しい息の中で最後まで美味しいものヘの探求を隠さないし、どちらも幸せな死にざまなのかしらね…食べもののおかげで。

M:そしてラストのゴローのタンクローリーが何の余韻をも残さずに走り去るロングショットからカメラは公園で授乳する母親の姿にパンしてエンドロール…申すまでもないでしょ。

F:…そうね、誰にとっても生涯最初の「食」であるということね。「生」と「死」がループを描くエンディングというわけで…。

(承前)