「アマデウス」、舞台と映画と思い出と。

Féminin:ねぇ、最初にピーター・シェーファー作「アマデウス」を一緒に観たのはミロス・フォアマン監督の映画の方だったでしょ?確か’85年春先の封切りで。

Masculin:そうでしたね、僕はその三年前’82年の舞台初演で観てるけど。九代目幸四郎(現・二代目白鸚)のサリエリ江守徹モーツァルト藤真利子のコンスタンツェで。上演をめぐっては松竹と劇団四季の間で熾烈な権利争いがあり、また個人で翻訳まで手がけた江守徹氏の熱意もあってこういった形での上演にこぎつけたと。

F:初演は私も関心があったんだけど行きそびれて、貴方はお母様の関係でチケットを貰ってご一緒したのよね、サンシャイン劇場に。それで映画化の時は一緒だったんだけど、ところが…。

M:そう、正直言って舞台に比べ随分落ちると感じましたね、勿論舞台と映画は別物と理解していてもです。アカデミー賞を何部門も受賞した名作とされてますけど、その考えは今でも不変で。映画しか観ていないとこの傑作の真価は掴めないと思いますね。あえて言いますけど、オペラや歌舞伎その他それなりに沢山の色々な名舞台に接しましたけど、その中でも「アマデウス」の初演で受けた感銘は屈指のものでしたね。

F:道理でねぇ…いろんな映画を一緒に観た後にしばしばあったことだけど、アナタが随分ご機嫌斜めだったのよね、これは失敗作ですって断言して。オペラやコンサートなら仮に今ひとつでも寛大だったのに。

M:一期一会なら少々のことがあっても目をつぶるのが本当の大人の対応でしょ?はるかに規模の大きな映画でしくじるのは言語道断ですよ。それもストレートプレイの映画化って勿論それまでも知らなかったわけじゃないけど、これはスクリーンでのみ可能なことを中途半端に実行したせいで、焦点の定まらない映像化になってしまったとしか思えなかったんですよね。しかもあれほど感銘を受けた名舞台の後だし。だからぜひとも高麗屋さんと江守徹氏の舞台をと思ってお姉様を翌’86年のサンシャイン劇場での再々演にご案内しようと思ったら…。

F:…ゴメンナサイ、あの頃はあの人とお仕事絡みで距離が近くなってて、先に誘われたものだから…。

M:確か前年の十二世團十郎の襲名披露興行の三月目「助六由縁江戸桜」の日にご一緒した時、初めてお会いしたんですよね、あの方と歌舞伎座のロビーで。「恩師なのよ」って紹介されたけど…あの頃は僕が助六のつもりだったのに。

F:それが一年後にはただの恩師でなく彼が意休になってたっておっしゃりたいんでしょ、ホントにもう古い話を…。

M:別に今さら蒸し返すつもりはありませんよ。僕がいつまでも煮えきらなかったのがそもそもの理由なんでしょうから…まぁお姉様ほどの高嶺の花を僕ごときがその頃まで長いこと独占していたのが不思議ですらあったんだけど。

F:あら、ずいぶん素直になったのね…まぁ確かにあの人もとっくにいないし、私たちもまたその後付かず離れずの良い関係で長いこと過ごしてるんだから…「アマデウス」に戻りましょ。その’86年の上演に接して、貴方が映画を観た後にご機嫌斜めだったのが良く分かったの。あの人も映画は観ていて「雲泥の差だねぇ」って言ってたから。

M:そうでしょ、上演の冒頭で既に緞帳の上がっている暗い舞台中央に向こう向きに座ってる老いさらばえたサリエリが、立ち上って向き直り瞬時にして壮年期の凛々しい姿に転じるオープニングと、映画の老いたままのサリエリが精神病院の混乱の中で自死をはかり、小ト短調交響曲K.183の冒頭が乱暴に奏される出だしとは比較になりませんよ。

F:私は舞台で印象的だったモーツァルトサリエリとの初対面で献呈された凡庸な行進曲を演奏してるうちに即興で「フィガロの結婚〜もう飛ぶまいぞ、この蝶々」に変わるのと、「グラン・パルティータ」の第3楽章アダージョを聴いたサリエリがあの卑俗な男のペンからこのような高貴な音楽が生まれたのかってショックを受ける場面。それから父レオポルトの影が「ドン・ジョヴァンニ」の騎士長に重なり合い序曲冒頭と地獄堕ちの場面のニ短調の和音が轟く場面も、映画じゃあ活かし切れていないのが不満だったわ。

M:さらには第一幕幕切れのサリエリモーツァルトには稀なる才を与え、自身には皮肉にも凡庸な才とその一方でモーツァルトの才を認め得る能力をもたらした全能の神に復讐を誓う素晴らしい場面が映画ではまるで印象に残らなかったのも…また大詰もこれに先立つプーシキンリムスキー・コルサコフの「モーツァルトサリエリ」同様、曖昧な終結なのは致し方なしで。ただし幕切れでサリエリが述べる

「私はすべての凡庸なる人々の神、聖サリエリ」の台詞の重みはいずれも同じですね。まあ総じて映像化で手に入れた多彩な表現手段が逆に足かせになった印象が強かったわけで、しばしばあることだけど。ところで次に僕が舞台を観たのは’93年で、またサンシャイン劇場だったんですけど、この時は七代目染五郎(現・十代目幸四郎)が江守徹氏に代わり初役でモーツァルトを演じるからと、銀座の店を畳んで以来すっかり出不精になってた母を連れ出したんで。

F:またそれにかこつけてチケット代をもっていただいたんでしょ(笑)。

M:まあそれもですけど、歌舞伎はもう沢山だけど初演で観て面白かったあれならまた観たいわと本人も言うんで、それでまだ高麗屋さんの伝手があったんで。そうしたら当日、受付に高麗屋さんの奥様がいらしてまあお久しぶり、もっとお母様を連れ出して差し上げてねと発破をかけられまして…で、ふと横を見ると松本紀保松たか子姉妹が立ってらして、丁寧にお辞儀をされました。

F:たか子さんはまだデビューしたばかりくらいかしら…今となっては貴重な体験かもね。ご両親の結婚式がちょうど貴方の中学生の頃だったんでしょ?学校のお御堂で。NYで「ラ・マンチャの男」に主演される前の年だったかしら。

M:大先輩ですからね、みんなで校舎の窓に鈴なりで眺めてました。その後が今はもうないル・テアトル銀座で’04年。舞台をご一緒したのは最初で、映画からも19年。

F:私は染五郎さんのモーツァルトは初めてだったけど、サリエリと実の親子で演じるのがやっぱり狙いだったんでしょうね。歌舞伎なら「連獅子」とかあるんでしょうけど。

M:そうだ、映画の日本公開に合わせてサリエリ役のF・マレイ・エイブラハムがプロモで来日し、歌舞伎座の楽屋に高麗屋さんを表敬訪問したんですって。ところが急いでたのと楽屋で靴を脱ぐとは知らなかったんで、左右違う色のソックスで来てしまったとか。

F:その頃の外国の方がいかにもやらかしそうな失敗ねぇ、で?

M:気づいた高麗屋さん、真顔で「それは最近、NYででも流行っているんですか?」と訊ねたと(笑)。

F:(笑)いかにも生真面目なあの方らしいわね。

M:エイブラハムそれに応えていわく「ええ、もう一足同じのが家にあるんです」と言ったとか言わなかったとか…。

F:ハイハイ、後段はアナタの創作でしょうね、良くあるジョークですけど…でも高麗屋さんも「ラ・マンチャの男」を演じ納めて、「アマデウス」ももう…。

M:そうですねぇ、改めて数えてみると4回しか舞台に接してないんで…将棋の故・米長邦雄永世棋聖は再演のつど足を運んでらしたそうですけど。幸四郎サリエリに回った再演が近い将来に果たして実現するかどうか…。

(Fin)