「夜のしおり」の思い出〜モーツァルト/アダージョとロンドハ短調K.617

Féminin:…へぇ、珍しいわね。モーツァルトのこんなレアな作品…まあ晩年の曲好きな貴方ですものね、ケッヘル番号ならすぐ次の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に「魔笛」とクラリネット協奏曲と…でもレクイエムはそれほどでもないのよね。

Masculin:えぇ、さすがに良くご存知で…実は昨日12日がこのK.617を教えて下さった方のお誕生日だったんですよ。

F:あら、どなた?

M:ほら、K.E.さん、司会者の。

F:あのハイトーンで「こんにちは、K.E.です!」の方かしら…ふ~ん、最近あんまりお見かけしないけど存じ上げてたの?

M:いや直接には。あれは大学二年の頃だったかなぁ、夜中までレコード聴いて本も読んでて、酒も切れたしちょっと一息つこうとTVを付けたんです。

F:宵っ張りは昔からですものね、良くワタシとも長電話もしたけど…あと強いのをいいことにだらだらと遅くまでお酒呑んでるのもね(笑)。で?

M:そうしたらNテレビの放送終了直前に「夜のしおり」ってミニ番組があって、週替りで局アナの皆さんがテーマを決めて夜景をバックに短いトークを。

F:…そう言えばKさんてもともとNテレのアナウンサーでらしたのね。

M:それでその週はKさんの担当で"Musik für Glasharmonika"ってタイトルでこのK.617をはじめとしたグラスハーモニカ…今の呼称はグラスハープですけど…による作品を日替わりで紹介してたんです。演奏はプレ・フランクリンタイプの第一人者だったブルーノ・ホフマンで。

F:ふ~ん、それでこのレアな曲を知ったのね…待って、私もそれから少しして、そのホフマンとオーボエハインツ・ホリガーやヴァイオリンのヘルマン・クレバースのLPを貴方から借りたんじゃなかったかしら、フィリップス盤。あれはウチの父も知らなくて聴いて気に入ってたの。

M:そうでしたか、あれは直後に出た新録音だったんですよ。それで週の終わりに思いたち、Nテレのアナウンス部気付でレコード番号の問い合わせの手紙を出して。

F:…へぇ、番号の問い合わせにかこつけてKさんとお近づきになろうだなんて下心がおありだったんじゃないの?背は私よりも少し高いし確かお年も少し上だけど、スラリとしていかにもアナタの好みですものね…。

M:何をおっしゃいますやら、僕には既にお姉様って永遠のマドンナがいらしたじゃないですか。あくまでも音楽への興味ですよ。そうしたら一週間ほどで自筆のお返事が。

F:あら、深夜のそんな番組を熱心に観てる妙な視聴者にもご親切でらしたこと。

M:…何かイヤミだなぁ…パウル・クレーの絵葉書で番組で使ったVox/Turnaboutの輸入盤の番号と「こういう形で多くの方に聴いていただき嬉しく存じます。今後もよろしくお願いいたします」って。

F:ふ~ん、クレーの絵葉書とはまたなかなかのセンスね、確かご自分で絵本も出してらしたし。それですぐさまその輸入盤を買ったのね。

M:ええ、他の作曲家の小品はともかく、このK.617にはたちどころに魅せられましたね。またチェレスタやハープによる演奏もあるけど、このグラスハープが随一じゃないかなあ。

F:ほらベンジャミン・フランクリンが開発したアルモニカでの演奏もあるけど、何か違う感じね。

M:そうですねぇ、一見グラスが沢山並んでるだけだから演奏ははるかに困難なんでしょうけど、音の滲みとか得も言われぬ余韻において。そう言えばS硝子だったと思うけど、ホフマンが出演したCMがありましたね、確か。

F:でもホフマンが亡くなってもかなり経つし、奏者も絶えちゃったんじゃないかしら。

M:いや、最近活躍してらっしゃる大橋エリさんて方がいらっしゃるから、また楽器としての命脈が保たれていると思いますよ…。

(承前)