フォーレ「シシリエンヌ」〜CD売場のメリザンド?

Masculin:今年アニヴァーサリーの作曲家シリーズで没後100年のフォーレはいかがです。

Féminin:うん、結構よ。大好きな作曲家だし…ブルックナーと違って(笑)。どちらも敬虔なカトリック教徒だったんだけど。

M:まだこだわって…それじゃあ作品は?レクイエムか室内楽曲のどれかか…。

F:ウ~ン、ベタかもだけど「シシリエンヌ」でいかが?ちょっとしたささやかな思い出があるの。

M:へぇ、何です。

F:三十何年も昔ね、夕方に銀座のYマハに立ち寄ったの。そしたらクラシックCD売場のレジ前で、私と同い年くらいの男性がいきなりこの「シシリエンヌ」のフルートのテーマを歌い出して「この曲のCDを下さい!」って…。

M:そりゃまたストレートな。まあCMか何かで聴き知ってたのかなぁ、その男は。もっと前に昨年亡くなった新日フィルの峰岸壮一氏がウィスキーのCMで演奏されてたから。

F:ところが売場のスタッフさん達は皆さんキョトンとしてて、決して音痴じゃなかったんだけどその人。横で聴いてた私はすぐ分かったんだから、あぁフォーレねって。

M:頼りないですねYマハも、あそこは音大出身者も多かったはずなんだけどなぁ。

F:それでたまたま近くにいた私がお節介焼いちゃったわけ。管弦楽曲のコーナーにその人を案内して、たまたま目についた組曲ペレアスとメリザンド」その他の入った小澤征爾さん指揮ボストン響の盤(ドイツ・グラモフォン)を教えて…この「シシリエンヌ」って曲ですよって。

M:ウ~ン、室内楽曲のコーナーにはチェロとピアノの原曲版もあったろうけど、多分彼もフルートソロのオケ版を聴いてたんでしょうからね。小澤さんの盤ならソロもミュンシュ時代からの名手ドリオ・アンソニー=ドワイヤー夫人でその時点で録音も新しいし。確かあまり録音されないメリザンドの歌や「パヴァーヌ」「エレジー」「夢のあとに」に組曲「ドリー」も入ってたなぁ、いやなかなか良いセレクションだったかと…それで?

F:そうしたらその人すっかり感激しちゃって、お礼にこれからご一緒にお食事でもいかがですかって…。

M:ふ~ん、「ペレアス〜」の物語ならさしずめ森の中で最初にメリザンドを見出したゴローみたいだなぁ…それで名うての食いしん坊のお姉様としてはシメシメと思ってそのナンパ男にホイホイくっついていったと。まあYマハの近くには高くて美味しい店も多いし、銀座の夜の蝶の方々御用達の同伴出勤にもピッタリのね(笑)。

F:ちょっと!今までそんな軽い女だと思ってたのワタシのこと。そりゃあそれまでにも似たようなことはしばしばありましたけどいっつも丁重にお断りしてましたわよ、勿論その時だってね…それにあの人と暮らしてた頃だし、メリザンドみたいに"Ne me touchez−pas!(さわらないで!)"なんて素っ気なくじゃなく。もおっ!

M:へぇ、だってもっとはるか昔だけどウチの学校の学園祭で他ならぬ僕が声をかけた時は即OKだったじゃないですか。

F:…それは…言いにくいけど貴方だったからでしょう、落っこちそうに大きなキラキラした目でじっと見つめられて…それにどことなく志有りげだったから。

M:ふ~ん、でもCD売場でナンパなんて僕も覚えがないなぁ、LP時代にも。

F:そうね、アナタは書き下ろしの解説付きCDをプレゼントして気を引くのがお得意だったんですものね、バレてますのよ…。

M:…そんな根も葉もない噂を一体どこで…ところで少し話がズレますけどフォーレの発音表記はこれで正しいですか、仏文科から大学院中退のお姉様のお考えでは。

F:ほら、あわてて誤魔化した…そうね、"Fauré"だからフォレの方がより正確かもね…またどうして?

M:いや妙な話ではあるんですけど、ほら母の訪問看護に来てくれてたS国際病院のナースで、比較的若い人は尿道カテーテルをフォーリーカテーテルって呼ぶんですけど、ベテランは何故かフォーレって言ってたんですよ。だからどうも気になってて。

F:ホント妙な話ね。でもどっちももうすっかり定着してるなら仕方ないんじゃない?ほらミルフィーユとかグランメゾンとかおかしな言葉だって意味も文法的にも間違ってるのに今となってはもう手遅れだから。アナタだって小さい頃からフランス語をかじってたんだからよくお分かりでしょ。

M:まあねぇ、そう言えば何年か前に知り合ったG習院大のフランス語圏文化学科の娘が、入学後最初のフランス語の講義で若い講師から

ミルフィーユは誤りです。その発音表記では"Mille− filles(千人の娘)"と聞こえるからお菓子の"Mille −feuilles(千枚の葉)"ならミルフイユもしくはミルフォイユと言うべきです」と教わったって。

F:またいつの間にか女子大生なんかと知り合っているんだから…でもいかにも若いフランス語の講師が言いそうなことね、全く正しいけど。グランメゾンだってメゾンは女性名詞だから当然グランドメゾンであるべきなのに薄っぺらいTVドラマのタイトルのせいでおかしな言葉がゴージャスなフレンチの代名詞に…。

M:いやそれはSハウスの分譲マンションで同じ名前のが都内でもあちこちにあって商標登録もしてるだろうから致し方なかったんじゃ…それに以前からそこらのグルメライターなんかも同じ誤用をしてましたから…。

F:…ふ~ん、そんなマンションの名前まで良くご存知ですこと。どなたかお知り合いでもいらしたのかしら?

M:…たまたま近所にあっただけですよ、全く…でもあのカテーテルも手術で入院した時に何度か入れましたけど、結構厄介なんですよ。最初は研修医が無理に入れようとして上手く行かず、結局手術直前に全身麻酔かけてから。抜く時は簡単だったけど。

F:ホント人が思い出話してるのにおかしな話にすり替えるんだから…でもあの時の人、Yマハの前でお別れして以来もちろん一度もお会いしてないけど、今でも私がおすすめした小澤さんのCDを聴いてるかしら…。

M:きっと愛聴してらっしゃるでしょうね…お節介いや親切な美女の面影を懐かしみながら…でもあの頃はともかく今の姿を知ったら。

F:ちょっと、何ですって?

M:.…いや、当時とほとんど変わらない奇跡の美魔女だって知ったら、改めて食事に誘いたくなるんじゃないかなぁ…ふぅ、ヤレヤレ…。

F:それじゃあ代わりに何かご馳走していただこうかしら、お正月休みも明けたし。お待ちしておりますわね♡。

(Fin)