「崇徳院さんはノイリー・プラットがお好き」

Féminin:ねぇ、だいぶ前にこのノイリー・プラットをあちこち探し回ったんですって?

Masculin:そうなんですよ、もう十数年前だけど、落語「崇徳院」の熊五郎よろしく床屋やお湯屋ならぬ酒屋を何軒も。

F:お酒のことになると執念深いんですものね、その昔、私のことなんかはあっさり諦めたくせに…。

M:あっさりってお姉様の方から僕を見限り、お父様の反対も押し切ってご家庭をお持ちのあの方のもとに走ったんじゃないですか…それこそ「瀬をはやみ岩にせかるる滝川」みたいに。

F:また古い話を…まぁあの人もとうに空の彼方だし、私たちも一応は「われても末に逢わむとぞ思ふ」ようになったんだから…ハイ、熊さんの道行のお話を続けて。

M:ヤレヤレ…ストックを切らしたんで馴染みの近所の酒屋に行ったんですけど、営業方針の変更で扱わなくなったと。まぁ天気も良かったんで、散歩がてら酒屋巡りを。半径1キロほどの酒屋は頭に入ってましたから。

F:その近所の酒屋さんて、貴方のお家の注文がビール、日本酒、ワイン、ウィスキーその他とあんまり沢山なんで、よっぽどお客さんがいらっしゃるんですかって不思議がられたお店?

M:えぇ、隣の小体なおでん屋よりも多いくらいだったと…ほとんど僕一人で片付けてたとは夢にも思ってなかったようで。

F:入院した時にお酒の量を正直に申告したらお医者様も絶句したんですものね。依存症を疑って精神科の先生方も連日大挙して現れて…で?

M:ところが街場の店には皆無で、気づいたら銀座にまで到達してたんでデパ地下に。これまた呆れた話でどこも立派なワインセラーまで構えてるくせにドライヴェルモットの一本もなしで。

F:あらあらご愁傷さま。でもそれで諦めるアナタじゃないわよね。

M:そりゃあ勿論。そこでひらめいたのが銀座のクラブ御用達の八丁目のS濃屋。だったら最初から目指してたのに。ともあれ首尾良く手に入れ、ついでに他にも何本かワインその他を仕入れタクシーで帰宅しました、フゥ〜。

F:ご苦労様でした。でもその頃は健脚だったけど入退院を繰り返した今じゃ到底そんなに歩き回れないわよね…またそれほどの情熱をワタシに向けてくれてたらなんて今さらながらに思ったりもするわ。ところでノイリー・プラットもドライ・マティーニに使うだけだとなかなか減らないんでしょ?一頃はどんどんドライになってカクテルグラスの内側をリンスするだけから、ワタシに耳元で「『ノイリー・プラット』と優しく囁いてください」なんてことも言ってたし(笑)。

M:「シッ、声が大きいですよ」なんてね。またヴェルモットの瓶を横目で睨みながらジンのストレートを呷るチャーチルの真似なんかも。でも料理には結構使うんですよ。魚介のソース・アルベールには必須だし、仔羊のローストでフライパンをデグラッセするのにも。

F:私はドライ・シェリーと半々に合わせたカクテルのバンブーが好き。横浜生まれらしく色合いもお味もどことなく和風の感じがして。

M:まぁせっせと使って無くなったら「切れても末に買わむとぞ思ふ」で…おあとがよろしいようで…。

(Fin)