井上尚弥vsルイス・ネリ戦を観て…52年前の記憶など。

Féminin:それにしても見事な試合だったわね、でも第1ラウンドはビックリしたけど。心臓が止まりそうって言うより、何だか呆気にとられてポカンとしちゃったわ、想像だにしてない光景だったから。

Masculin:そうでしたねぇホントのサプライズで、危険な相手だと我々も分かってはいたけどまさかの被弾とは。少し立ち上がりでいつになく尚弥が飛ばし過ぎてるような印象はあったけど…その気負いがあったところに、事前に警戒してはいたものの妙な角度とタイミングで飛んで来たんでしょうねあの左フックは…だけどノニト・ドネア(比)との第一戦で同じようなパンチを貰った時は眼窩底骨折を負ったけど、ネリにドネアほどの一発の破壊力が無かったのが幸いしたのかも。

F:でももしもの話だけど、あの試合でドネアの左がもう少し下のジョー(顎の横)にヒットしていたら尚弥さんといえども立っていられなかったでしょうね。そうしたらその後の快進撃も…つくづくボクシングって紙一重の攻防ね。

M:まあ当たり前だけどモンスターも生身の人間だったってことなんですよ。だけど結果としてちょうど’63年にまだ無冠のカシアス・クレイだった頃のモハメド・アリがヘンリー・クーパーに同じ左フックでプロ初のダウンを奪われながら逆転の第5ラウンドTKOで退けたみたいでした。

F:それにしてもチャンプはダウン後も冷静だったわね。守りのテクニックも超一流だってことも証明したし。それですぐ第2ラウンドにはいつもの切れ味鋭い左のカウンターでダウンを奪い返して。

M:そうそう、階級を上げるにつれ、相手の出鼻を完膚なきまでにくじくあのカウンターの切れ味が薄れているのかと思ってたけど、それは単にバトラー、フルトン、タパレスと最近の対戦相手が必要以上に警戒して積極的に前に出て来なかったからなんだと分かりましたね。

F:それで思い出してたの。ほら’72年の6月20日に永遠のチャンプ大場政夫さんがやっぱりランク1位のオーランド・アモレス(パナマ)と闘ったフライ級の防衛戦を。

M:…へえ、そんな頃からボクシングをご覧だったんですか。僕が高1の年だから大学1年ですよね、お姉様は。まだ知り合う1年少し前だけど。そう言えば具志堅用高が登場した’76年頃には我々の間でも話題にしてましたよね。楚々としたご令嬢がクラシックやオペラだけでなく意外にもボクシング好きなんで少なからず驚いたんだけど…リアル白木葉子だなぁなんて(笑)。

F:うん、実はウチの父が大好きだったの、ボクシングを。家でも仕事柄どちらかと言うと書斎にこもりがちだったけど、若い頃に白井義男さんの世界タイトル戦を後楽園球場で観たんですって。だからファイティング原田さんや海老原博幸さんの時代からTV中継にはかじりついてて、まだ元気だった頃の母は無関心だったけど何故か私は引き込まれちゃったの。でも学校では同級生との話題にも出来ないし。

M:都内屈指のお嬢様学校ですものね。それで父娘ふたりっきりの密かな愉しみになったってわけですか、ボクシング中継が。またあの頃は世界戦に限らず各局こぞってゴールデンタイムにオンエアしてたし。

F:アナタだってお坊ちゃま学校の小学生だったのにボクシングにハマってたんですってね可愛らしい坊やの低学年の頃から。TVの前で「よし、行けっ…アッあぶない!」なんて力んでるんで将来が心配になったのよってお母様が言ってらしたわ…だからウチも母が旅立った後に頭角を現した大場さんの試合は最後のチャチャイ・チオノイ(タイ)戦まで欠かさず観てたわ。そのチャチャイ戦も足を捻挫しながら終盤での劇的な逆転KO勝ちだったけど覚えてるでしょ、その一戦前のアモレス戦が昨日の尚弥さんの試合にそっくりの展開だったのを。

M:ウ~ン、そうでしたねぇ。同じように初回挑戦者の離れ際の左フックを受けて後ろに大きく吹っ飛ぶダウンを喫したものの、次のラウンドで大場は尚弥のカウンター左フック同様に得意の打ち下ろしの右ストレートでダウンを奪い返し、そして尚弥より早い第5ラウンドで再びロープ際での右ストレートからのラッシュでガス欠の相手を一気に仕留めたと…確かにそっくりの展開でした。いや恐れ入りました。昔ご一緒したレストランの美味しかった料理の味だけじゃないんですねぇ、良く憶えてらっしゃるのは。

F:あら、演奏会でのピアニストのミスタッチなんかはアナタほど憶えておりませんけど。でも対戦相手のニックネームが「パンテーラ(豹)」なのも同じなのね。

M:そうですね、ただしネリの地元メキシコでは「はったり屋」の意味もあるらしいけど。でも試合の少し前に日本ボクシング界の鼻つまみ者一家のク○親爺があろうことかネリの早い回でのKO勝ちだなんて寝言ほざいてたんで、後からほっとしましたねぇそんな与太予想が的中しなかったことに(笑)。

F:確かにいい加減なことを言ってるひとが少なくなかったわねぇ。’90年にマイク・タイソンが格下のジェームズ・ダグラスにまさかのKO負けで世界中が驚いたのは二度目の東京ドームだったってことも知らないみたいな…いくら三十年以上経ってるとしても。

M:そうそう、’88年のこけら落としの時は問題なく挑戦者トニー・タッブスを退けたんで。それに二度目の時はあのドン・キングの差し金でのトレーナーのケビン・ルーニーその他のスタッフの解雇や私生活の問題に加え本人のコンディションも怪しかったんで…スパーリングでまさかのダウンを喫したり。ドームに住む魔物云々も取ってつけたような言い草ですね。地下闘技場なんかホントにあるわけもなく…真下には東京メトロ南北線が通ってるし(笑)。

F:あら、魔物はともかく隠された自転車コースがあるのは公然の秘密でしょ…でも私たちは野球くらいでしか東京ドームを知らないけど、やっぱりあそこって場内に入ると途端に気圧の関係なのか何となく妙な気分にならない?良く言えば気分が高揚するみたいだけど、悪く言えばそわそわして落ち着かないような。

M:そうでしたねぇ、確かにビールの酔いは少し早く回るような気がしたけど…まあ尚弥が初回にやや冷静さを欠いて被弾したのは、やっぱりその影響だったのかなぁ。でもそれをサプライズで止めてすぐに立て直し、見事な組み立てから鮮やかなフィニッシュに結びつけるんだから、やはり紛れもないモンスターだってことで…。

F:ほら三島由紀夫が時々ボクシングの観戦記を書いてたでしょう。それで西城正三さんとゴドフリー・スティーヴンス(チリ)の試合で、ほぼワンサイドの試合の最終ラウンドでダウンを奪ったのを「最後の最後で見せ場を作りうならせるとは我々作家も学ばなければ」って書いたのよね。

M:その伝で言うなら尚弥に学ぶべきは昨今の世の中全てじゃないかなあ…。

F:でもタイソンはさっきアナタがおっしゃったように私生活を含め内側から綻びを見せて、それが王座転落につながったみたいだったけど、尚弥さんはトレーナーのお父様筆頭にチーム一丸みたいだし、間違っても内部崩壊なんて起こしそうにないわよね。キャリアを重ねたボクサーが避けられない試合でのダメージの蓄積もほとんど無いみたいだし。

M:そうですね。やっぱり克己心を失いかけた時がボクサーの凋落の始まりなんだし、尚弥にはまだまだ内外でのビッグマッチを期待したいから。まあ束の間の「戦士の休息」を味わって英気を養い、また我々を唸らせる次戦に備えて欲しいですね…。

(Fin)