エーリヒ・クライバー〜最も不遇なる巨匠。

Féminin:一日遅れだけど、エーリヒ・クライバーも昨日が命日だったのね、しかもモーツァルトの生誕200年のその日に。

Masculin:そうでしたね。確かチューリヒの投宿先のホテルの部屋のバスルームで亡くなったとか…。まあ同時代の指揮者同様、ナチスという災厄に翻弄された生涯で。

 F:ほら、’20年代のベルリンで撮影された当時の五大指揮者勢揃いの有名な写真があるでしょ。左からワルタートスカニーニクライバークレンペラーフルトヴェングラーの並びだったけど、ユダヤ人のワルタークレンペラーはもちろん、他の三人も皆さん色々…。

M:そうでしたね、トスカニーニはイタリアでファシスト党が政権を握った時点で利用されるのを嫌いさっさとアメリカに亡命したけど、直情径行が幸いしたようなもので。一方フルトヴェングラーは戦時中もドイツに留まったこともあり、戦後非ナチ化裁判で無罪を勝ち取るまで苦難の日々で。そしてクライバーは妻ルース・グッドリッチがユダヤアメリカ人だったこともあり南米へと。

F:奥様ってつまりカルロスのお母様よね。エーリヒの弟子だった近衛秀麿さんによると知り合った当時エーリヒは英語を、奥様はドイツ語が話せなかったんでラテン語でラヴレターをやり取りしたとか。

M:そもそもはフルトヴェングラーがいわゆるヒンデミット事件で抗議辞職して、それにクライバーも同調したのが始まりで。そして一家で「流浪の民」となりアルゼンチンへ。でもエーリヒは戦後もベルリン国立歌劇場に復帰したものの、東ドイツ政府と折り合いが悪く瞬く間に辞任してるから。

(承前)