冨田勲氏の誕生日に寄せて。

Féminin:今日は冨田勲さんのお誕生日、お元気なら満92歳で。

Masculin:亡くなったのはもう8年前なんですね。ほら、真っ先に思い出すのはあれもちょうど半世紀前の’74年、しばしば通った今も続くNET(現テレビ朝日)「題名のない音楽会」の公開録画で貴重な機会に遭遇して。

F:そうね、あの頃は隔週の水曜日だったかしら、旧渋谷公会堂で。公園通り側のエントランスのスロープに並んで開場を待ったわね。

M:夏休み中だったと思うけど、確かその日二本撮りのもう一本はいかにも黛敏郎氏らしく「『君が代』考」だったなぁ。で、もう一本が冨田氏をゲストに招いたモーグシンセサイザーの紹介とお披露目で。

F:その頃までにもうTVやCMではモーグを使ってらしたけど、ドビュッシーピアノ曲モーグで演奏した最初のアルバムの発売に合わせた企画だったのね。でも未だに情けなくなるわ。それより前に冨田さんが企画とデモテープを持ち込んだら国内のレコード会社はどこもけんもほろろだったって。

M:そうそう、中には「レコード店のどのコーナーに置くのか」なんて世迷い言を放った社もあったとか。まあ日本のレコード会社なんてのは邦楽に洋楽やらクラシックにポピュラーなどなど各部署ごとにケチくさい縄張り争いばっかりしてたんでしょうね…音楽文化の発展だなんて全く眼中にもない他人事で。それで冨田氏が直接米RCAにコンタクト取ったら「OK、ウチで出そう」とトントン拍子にリリースが決まりやがてグラミー賞ノミネートまで。でも我々も幸運でしたね、冨田氏の歴史的名作のいわばプレミアに立ち会えたわけだから。

F:本当にね。それで黛さんが聞き手で冨田さんがモーグの様々な機能を紹介した最後に4チャンネルシステムで「月の光」を演奏して、客席の私たちはすっかり夢見心地になってたら黛さんと冨田さんが何やらステージ上でヒソヒソ…。

M:そうそう、そしたら黛氏がやおら立ち上がり

「ちょっと止めて、これ1チャンネル音が出てない!」と叫んでいっぺんに夢から醒めて。ディレクターが現れ、すぐに修復は無理でオンエア時は直しますとの話でもう一度冒頭からアンコールでお開きだったけど、でも当時はまだ音声多重放送も始まってなかったからさてどうだったか。まあ我々はすぐにLPを買いましたけどね。

F:その後の冨田さんのシンセサイザーアーティストとしての活躍は今さらだけど、最初に聴いた作曲作品は?

M:やっぱり大河ドラマ第一回の「花の生涯」でしょうね。当時小1だったけど、祖母や母に付き合って毎週観てたから。

F:そんな頃からませてたのね…私は「きょうの料理」かしら、やっぱり。一応母のお手伝いをしておりましたから…言われる前に認めますけど、そんな頃からキッチンに立ってたわりにお料理の腕が上達しなかったのは母が早くに旅立ったからなのよ。

M:ハイハイ、十分承知しておりまする…その後はフジテレビ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の虫プロ作品だけど、あれは今聴いてもライトモティーフを効果的に使って大河ドラマ以上に本格的な仕事でしたね。その頃には同じく虫プロ制作の実験アニメ「展覧会の絵」もあるけど、ちょっとしたエピソードが。

F:うん、確か最初は秋山和慶さん指揮の東京交響楽団ラヴェル編曲版生演奏付きで上映し、その音源をサントラにして海外のアニメフェスに持って行こうとしたら横槍が入ったとか。

M:えぇ、編曲のラヴェルの版権を持ってるフランスの楽譜出版社デュランから、そういう用途はまかりならぬと。日程もなく困り果てた手塚治虫氏は急遽冨田氏に新たな編曲を依頼したんですけど期限は手塚氏によれば一週間、冨田氏によるとわずか4日だったと…。

F:それはきっと依頼された側の記憶の方が正確ねぇ。でも間に合わせたんだから凄いわ。いま聴いても後の冨田さんのシンセサイザー版の素描みたいで良いお仕事と思うけど。

M:’72〜3年になるとTVドラマでもモーグを使い始め、TBSで’72年7月スタートの二世中村吉右衛門主演「いま炎のとき」が最初だったかと。あと日テレの若山富三郎主演の時代劇「唖侍鬼一法眼」も印象的でしたね。

F:WikipediaではTVドラマの初モーグは’73年春のNHK「波の塔」となってるけど、ここはアナタの記憶を信じることにしましょ。私は’74年の大河ドラマ勝海舟」のテーマ曲が好き。あえてモーグは使ってないけどジャジーなオープニングのピアノとドラムスからコーラスまで多彩で、コーダに残るチェロのソロが得も言われぬ哀感を醸し出してるわ。

M:もしかしたらあのテーマ曲のコーラス部分はモーグで作ったんじゃないかなぁ。タイトルにも岩城宏之指揮N響だけで合唱団の名はクレジットされてませんしね。

F:もう、ハイハイ分かりました、おっしゃる通りでございます。そう言えばかなり前、NHKの「ラジオ深夜便」聴いて何か呆れてたんじゃなかった?

M:あぁ、そうそう。安田祥子由紀さおり姉妹の特集で紹介した童謡が冨田氏の作品だったんです。そうしたらS.K.さんて元女性アナのアンカーが

「冨田さんてシンセサイザーで有名ですが、こういう曲も書いてらしたんですねぇ」ですって。長年NHKにいる方が大河ドラマや「新日本紀行」などでNHK御用達とも言える冨田氏の業績をろくに知らんのかと苦笑を禁じ得なかったんですよ。

F:ウ~ンそれはちょっとねぇ。担当してらした番組が「趣味の園芸」なんかで冨田さんとの接点があんまり無かったのかしら。

(承前)