「ザ・ヤクザ」(’74年米)とあの方。

Féminin:…えっ、あの方って赤尾敏さん…大日本愛国党総裁の。今日がご命日なの?

Masculin:えぇ、’90年に他界されてますから没後34年ですね。

F:それとまた「ザ・ヤクザ」って、高倉健さんとロバート・ミッチャム岸惠子さんのあれでしょ、どういう関係が?

M:その前に、あれ劇場でご覧になってらっしゃいます?

F:うぅん、観てないわ…確か貴方に誘われたと思うけどあんまり気乗りがしなくて。でもオンエアでは観てるわよ。

M:あぁ、やっぱりね。だからご存知ないんだ、この作品と赤尾氏の関係を。ほらオープニングタイトルとロスアンジェルスでのプロローグに続き、日本での仕事の依頼を受けたミッチャム扮する探偵キルマーが約二十年ぶりに来日し、出迎えの車窓から目覚ましい復興と変貌を遂げた東京の街並みを感慨深げに眺めるファーストシーンがあったでしょ。

F:ウ~ン、そんなシーンがあったかしら…。

M:そのシークエンスにワンカットだけカメオ出演してるんですよ、その赤尾氏が。

F:えぇ?どういうこと。

M:ほらお姉様はオンエアでしかご覧になってないから無理ないんだけど、カメラはキルマーの視点で都内の諸々の情景を捉えているんですよ。で、封切り時に映画館で観てたらそのワンカットに数寄屋橋の交差点角で街宣車の上から連日蛮声を張り上げていた赤尾氏のご勇姿があり、館内大爆笑の渦に…。

F:そう、確かに私たちの子供の頃にはもう毎日あそこで「日本はアメリカにキン…」あらいけない^^;、とにかく熱烈に主張なさっていたわね。

M:まぁ観ていたのがすぐ近くの映画館だったから当時の観客も知らぬ者とてなかったんでしょうね。ところが数年後、CX系「ゴールデン洋画劇場」でオンエアされた時には何故か赤尾氏の姿が見当たらなくって。

F:私が観たのはその時だったんでしょうね…多分父と一緒だったと思うけど、もしいらしたら父が何か感想をもらしたと思うわ…何だアイツはとでも。

M:いやボクもそのオンエアは観てたんですよ。ところが赤尾氏のご尊顔を拝することが出来なかったんで奇異に感じていたんですけど、もしや市ヶ谷河田町に街宣車でデモをかけられても迷惑だろうから忖度が働いたのかと。

F:あり得ないことじゃなかったかもね。あの頃ってどこにでも街宣車で駆けつけて闇雲にがなり立てて、ご近所の迷惑なんかこれっぱっちも考えていなかったから、あの皆さんは。

M:ところが’90年代にNHKのBS2でオンエアの際に観てたらおわしましたんですよ、赤尾氏が。

F:あらやっぱり。さすが不偏不党を謳う皆様の公共放送ね、まあ政見放送でもご常連さんだったし。それにもう亡くなっていたからかしら。

M:いや謎が解けたのはさらに後の今から十年ほど前、健さんが亡くなった時にこれのDVDを取り寄せた時です。その盤は全米公開版らしく、尺が日本公開版より十分ほど短いんですよ。つまり車窓から眺める東京の風景は全カットで、だからお姿もなく。

F:ふ~ん、やっぱり日本の右翼のご老人なんてアメリカのムービーゴアにとっては何の関心もないでしょうしね。でも戦災から復興した東京にも無関心なのはちょっと…そうだ、丸谷才一さんの「裏声で歌へ君が代」に、未だ民主化以前の台湾から来日した少女が東京のまん真ん中の数寄屋橋交差点で辻説法している老人を見て、しかもそれが時の政府を公然と批判する内容だと知ってショックを受けるくだりがあったわね。丸谷さんは無類の映画好きでらしたからもしやこれをご覧になってたのかも。

M:監督シドニー・ポラックはあの老人が何を喚いてるのか知った上で日本公開版に活かしたんですかねぇ。にしても赤尾氏は社会党浅沼委員長殺害、中央公論嶋中社長宅襲撃、三木総理殴打と大きな事件ではいずれも嫌疑不十分で、生涯清貧に甘んじたというから今日なお評価の難しい御仁であるのは確かですねぇ。ところで映画の方は…まぁあまり語るべくもと言っちゃ言い過ぎかなぁ…。

 

(承前)