「荏原町の旦那に捧ぐ」〜池波正太郎「食卓の情景」のことなど。

Masculin:今日は池波正太郎氏の生誕101年です。

Féminin:ふ~ん、去年がちょうど区切りの年だったから「鬼平犯科帳」に「仕掛人・藤枝梅安」のリメイクの企画が上がったのね。

M:それで池波氏と全く同じ生年月日の役者がいるんですよ。

F:あら、どなた?

M:西村晃氏。

F:そう言えば萬屋錦之介さんの「鬼平〜」で途中から植木等さんに代わって密偵の相模の彦十を演ってらしたわ。お二人とも割合に早く亡くなったけど…特に池波さんはまだ六十代でらしたのよね…ねぇ、私たちの親世代の作家の皆さんて食べ物のエッセイを沢山書いてらっしゃるでしょう。

M:そうですねぇ、阿川弘之安岡章太郎吉行淳之介丸谷才一と皆さん大正生まれの作家で。

F:ウチの父も同世代だったから良く分かるんだけど、戦中戦後の食糧難を乗り越えて高度成長期にさしかかり、若い頃の飢餓感の反動で一気に食欲が全開になったから食い意地が張ってるんだよ我々は…というのが父の言い分だったわ…でアナタにまた云われる前に認めますけど、その食い意地を受け継いでの食いしん坊なんでございますのよ、ワタシも。

M:ハハァ、なるほど…確かに戦中派の食い物の恨みが各氏の名エッセイに直結したのかなぁ…ほら丸谷才一氏が日本の食についての三大名著として

 吉田健一「私の食物誌」

 檀一雄「檀流クッキング」

 邱永漢「食は広州にあり」の三つを挙げましたけど、そこに池波氏のこれと丸谷氏の「食通知つたかぶり」を加えて五大名著としても良いかも。ところで以前から気になってるんですけど、池波氏を取り上げる活字もTVも決まり文句みたいに「食通として知られた〜」なんて枕詞をくっつけるでしょう。

F:うん、確かにね。

M:あれ、ご本人の耳に入ったら激怒されるんじゃないかなぁ、この本のあとがきの最初の方でも「いわゆる食通でもないし」ときっぱり書いておられますけど、それ以上にべらんめえで

 「おい、俺ぁ食通なんて御大層な代物じゃあねえよ、ただの食いしん坊だっ!」とでも間違いなくおっしゃったかと。

F:そうね、この「食卓の情景」に出てくるのもご自宅はもちろん行きつけのお店もどちらかと言えばざっかけないけど確かな味の所ばかりだし。

M:オツに気取った高級御料理店なんかはあまりお好きじゃなかったんでしょうね。その一方で最近の若い連中が「池波正太郎の通った店は大したことない」なんて言ってるのも、味ばかりでないその店のかけがえのないたたずまいなんかを理解してない薄っぺらな意見だなぁと。

F:ねぇ、池波さんに習ってお店の名前を❲ ❳の括弧でくくるわね…この本の「神田連雀町」の章に若い頃の池波さんが今もある神田の鳥すき❲ぼたん❳で、遺恨のある相手と偶然出くわしてあそこの箱火鉢の上の四角い鉄鍋を投げつけるところから大立ち回りを演じたお話があるでしょ。それ以来敷居が高くなって長く足が遠退いていたって。それが「敷居が高い」の正しい用法なのよね。最近はお値段や格式が高い意味だって間違った使い方ばかりだけど、不義理や迷惑をかけて足が向き難くなってしまったというのが本当の意味なのに。そう言えばアナタも深川森下のさくら鍋❲みの家❳で似たようなことをやらかして同じになったじゃない。

M:えぇ、あれは隣にやって来た三人組が初手らしいのに訳知り顔で注文した上、我々に断りなく煙草に火を点けたんで思わず…。

F:アナタにも火が点いたのよね(笑)。

M:まあ蹴飛ばし屋で立ち回って蹴飛ばすまでは行きませんでしたけど、かなり声は響いてたんでしょうね店内に。連中が一足先に引き上げ、我々も帰ろうとして立ち上がり下足札を渡してお勘定を頼んだら店の姐さん方が全員胸をなでおろした顔をしてたから。

F:一緒にいたワタシもホッとしたわ。でももし池波さんがその場にいらしたら

 「『駒が勇めば花が散る』だぜ、アンタ…」なんてたしなめられたでしょうね。

M:面目ありません。ところで最初の章「巣と食」で池波家の普段の食卓の様子が活写されてますよね。奥様が仕度をなさって池波氏がお一人でそれを召し上がり、そのあとにお母様が拵えたもので嫁姑の女性陣が夕餉を済ませるって。まあ今の時代じゃあ到底無理だろうし当時でも文士の家くらいでしか考えられなかったろうけど、ふと思ったんですよね昔のあの頃、お姉様がわが家にいらしてたらどうなっていたかなって。

F:…そりゃあ決まってますでしょ、池波家とは正反対にお料理上手のアナタが専属シェフとしてキッチンで腕を振るい、お母様とワタシが二人でそれを存分に堪能するって(笑)。それなら嫁姑問題も起きないと思うし…あら、それがイヤでのらりくらりばっかりだったのかしら?まあウチの父はアナタにわが家のマスオさんになって欲しがってたんだけど、その場合でも同じだったかしらね。

M:…のらりくらりが正しかったみたいだなぁ、やっぱり。それから「蕎麦」の章でまさに金言と称すべきくだりがありますから、少し長くなりますけど引用します。

 「よく出る話だが…。

 江戸っ子は見栄を張って、つゆにちょいと蕎麦をつけて手ぐりこむ。ところが本音は、一度でいいから、どっぷりつゆをつけて蕎麦を食いたい。

 死ぬ間ぎわに江戸っ子が、

『せめて、死ぬ前に、蕎麦をどっぷりつゆにつけて食いてえものだ』

 といったそうな。この、たとえばなしは、いろいろに流用されているが、ふざけてはいけない。

 東京の蕎麦の、たとえば❲藪❳のつゆへ、どっぷりと蕎麦をつけこんでしまっては、とてもとても、

『食べられたものではない』

のである。

 あの濃いつゆへ、蕎麦の先をつけてすすりこめば、蕎麦の香りが生きて、つゆの味にとけ合い、うまく食べられるのである。

 つゆがうすければ、どんな江戸っ子だって、じゅうぶんにつけてすすりこめばいいのだ。

 だからといって、つゆの中へ蕎麦をつけこみ、ちぎったり、くちゃくちゃとかきまわしたあげく口に入れて、むしゃむしゃとあごがくたびれるほどに噛んでしまっては仕様がない。

 それを、

『蕎麦の食い方を知らぬ』

 と軽蔑するよりも、

『あれでは、蕎麦の味も香りもわからない』

 と、見たほうがよいのである。」

 …とまぁ、鮮やかな一刀両断はさすがだなぁ、ヨッ、荏原町

F:なあにいきなり。荏原町ってどちら?

M:あれ、ご存知でしょ。昭和くらいまでの大向こうは役者の在でも掛け声を飛ばしたって…二世松緑なら「紀尾井町!」とかね。品川は荏原って池波氏の終の住処ですよ。でもこの本を改めて読んでしみじみ思うんですけど、池波氏がこよなく愛し我々も良く知ってた店が最近次々と暖簾をたたんでいるのは寂しい限りですね。

F:本当にそうね、日本橋室町の天ぷら❲はやし❳、有楽町の中華❲慶楽❳、神田淡路町の洋食❲松栄亭❳、浅草の喫茶❲アンヂェラス❳…他にも沢山でしょうね。後継ぎのことや魚河岸の移転、コロナ禍や理由はさまざまなんでしょうけど。でも五十歳目前に連載がスタートしたこの本が意外にも池波さんの食べ物随筆の第一弾だったのね。お名前が出てくる当時週刊Aの担当編集者で後にご自分も食エッセイを多く書かれたS.A.さんが、池波さんの小説の食事の場面に着目しての企画だったんでしょうけど、この後亡くなるまで十数年ずっと小説と並ぶもう一本の柱になったんだからやっぱり貴重な一冊ね。

M:ただこれや「むかしの味」が文庫化された時のあとがきで早過ぎた最晩年の池波氏が繰り返し「酒を受けつけない体になってしまった」とか「ベッドに入って食べたいものを考える…何も思い浮かばない」などと嘆いておられるのを読むのは辛いですね。あれほど「食」に熱心だった方が。そうそう、この本の池波氏に習ってやってみたいことがもうひとつ…。

F:あら、なあに?

M:ほら「旅のたべもの」で、羽田に一緒に出かけた奥様に思いつきで買っていただいたチケットで岡山から赤穂、播磨の室津へと一人旅に出かけるって。やってみたいなぁボクも…。

F:ふ~ん、結構ね。でも入退院を繰り返してたアナタを一人で旅立たせるのはとっても心配だから、ワタシもお供いたしますわ、いかが?

M:いや、それじゃあせっかくの気ままなさすらいの旅が…ウ~ン、結局は池波氏も出かけた長良川の鵜飼いの鵜なのかなあ、どこまでも…。

F:うふふっ、ご安心なさって。くわえて来た鮎くらい呑み込ませて差し上げますわよ(笑)。

(Fin)