アンソニー・クイン頌。

Féminin:ねぇ、聞いて。タレントのS.T.さんがご自分のYouTubeチャンネルでお話しされてたんですって…俳優のE.T.さんがTVの若いプロデューサーに大激怒したことがあるんだとか。

M:あのB学座の代表も務めたEさんが?我々も「桜の園」や「アマデウス」の舞台を拝見しましたね。温厚な方…ではなさそうだけど何があったんです。

F:関西の洋上イヴェントで「名バイプレーヤーの〜」と紹介され、直後胸ぐらを掴んで「俺はシェークスピアでも主役を張ってんだ!」って。船から突き落としそうな勢いだったとか。

M:ウ~ン、お怒りごもっともだなぁ。失礼もだけど言葉を知らな過ぎですね、そのプロデューサーとやらは。

F:うん、バイプレーヤーの意味も知らなかったんですって、そのひと…もう何をか言わんやね。ところで貴方も昔、アンソニー・クインが亡くなった時に呆れてたわね。公共放送局が「名脇役クインさん死去」と伝えたって。

M:そうそう、いやもしクインの耳に届いたらEさん同様激怒して生き返ったんじゃないかなぁ。フェリーニ「道」、カコヤニス「その男ゾルバ」と二本の映画史的名作に主演し、しかもワタシの記憶が正しければその二作を’71年に初オンエアしたのは他ならぬその公共放送局なのに。

F:そう、私も良く覚えてるわ。特に「道」は大学受験を控えてるワタシを父が強引にTVの前のソファに座らせて「こういうのを若いうちに観ておくのも人生には大事だぞ」って…二時間後、クインのザンパノと一緒に大泣きしちゃったけど。

M:さすがに理解のあるお父様で。でも局の考えも少しは分からないでもないですね。クインはアカデミー助演賞を「革命児サパタ」「炎の人ゴッホ」で二度受けてるけど主演賞は無縁だったからいかにもあの局らしく杓子定規に名脇役と決めつけたわけで。

F:あらまたあっさり掌返しね…でもその二作に限らずいつも主役を食ってたから、名脇役と呼ばれたのも無理ないのかも。それにしてもクインほどいろんな人種国籍の人物を演じた俳優もいないんじゃないかしら。

M:そうですねぇ、「〜ゾルバ」「ナバロンの要塞」「愛はエーゲ海に燃ゆ」ではギリシャ人、「道」「サンタ・ビットリアの秘密」はイタリア人、「アラビアのロレンス」「砂漠のライオン」のアラブ人、「最後のインディアン」ではネイティヴ・アメリカン、「バレン」はイヌイット…日本人は演らなかったなぁ。

F:ほら、伊丹十三さんが書いてたけど、「アラビアのロレンス」の撮影現場でピーター・オトゥールと大喧嘩したとか。

M:えぇ、それには前日譚があって、自分が主役の時にクインは脇役が良い芝居をしてちょっと目立つと監督に命じてそのシーンをカットさせるのが常だったんですって。

F:ふ~ん、まあ俺が主役なんだって自負が強かったんでしょうね。もしかしてプロデューサー権限もあったのかも。

M:それでオトゥールがまだ駆け出しだった「バレン」でも上手く出来たと思ったシーンを監督のニコラス・レイに命じてクインは没にさせたんでオトゥールは鬱憤が溜まっていたと。そして二年後、立場の逆転した「〜ロレンス」の現場で些細なことから言い争いになり、オトゥールがクインをぶん殴って遺恨を晴らしたとか…その代償としてオトゥールの右手小指はずっと麻痺していたそうです。

F:…乱暴なお話だけど、プロ意識がぶつかり合ったのね。でもスゴい迫力だったでしょうね、エル・オランスvsアウダ・アブ・ターイなんて…そうだ、お子さんが十人以上いらっしゃるって話はホント?

M:一説では十三人で、最後は本人81歳の時の子だとか。また共演した女優は片っ端から口説いたそうで、そのヴァイタリティと底抜けの楽天性はまさにゾルバそのものだったんですね。

(承前)