プッチーニ「トスカ」デ・サバタ指揮(’53年)〜カラスがトスカか、トスカがカラスか?

Masculin:また今年没後100年アニヴァーサリーの作曲家でプッチーニはいかがです?

Féminin:うん、結構よ…あら、でも暮れにマリア・カラスの生誕100年もあったでしょ。

M:はい、ついでにってわけじゃないけど、今日は「トスカ」の初演の当日なんですよ、1900年。となると語るべきは…。

F:そうね、プッチーニというよりオペラ史上不滅の名盤、カラス、ディ・ステーファノ、ゴッビとデ・サバタ指揮スカラ座のEMI盤ね。

M:とは言うものの、主役三人と指揮、オケとどこをとっても万全で、唯一のウィークポイントはモノラル録音であることで。

F:それを言っちゃあ…なんて寅さんみたいだけど、確かにね。ステレオの再録はベルゴンツィや指揮のプレートルも悪くないけど、他の二人も全盛期のこれに比べるとやっぱりだし、セカンドベストでしか。

M:そうですね、というわけで、本日はありがとうございました…。

F:えぇ、ちょっと待って。まだお話ししましょうよ、何かアペロでもお持ちするから…。

M:そうですか…それで一つ思い出した。若き日のティート・ゴッビがスカルピアを演じた後に両親とリストランテで食事したんですって。ところがまだ役柄の影響の残ってたゴッビがパチンと指を鳴らしていかにも尊大な態度でカメリエーレにワインをオーダーしたんで、思わず父親が

「…正気に戻ってくれ、ティート。もうオペラは終わったんだぞ!」と諌めたとか。

F:ふ~ん、まるで今のアナタもスカルピアみたいだったわよ…普段、外のお店じゃ決して見せない態度で…はいネグローニとオリーヴ…そうそう、前に観たけど’64年にコヴェント・ガーデンで収録された「トスカ」第二幕の映像があるでしょ、この盤と同じカラスとゴッビの。あれで気になった点が…。

M:えぇ、あれはフランコ・ゼッフィレッリの名舞台の記録でしたね。全曲あったら…。

F:あそこでトスカがスカルピアを殺害する場面で、ト書きではトスカは早くからナイフを隠し持っているのよね。ところがカラスはスカルピアの申し入れを苦しげに受け入れてから気つけにワインを一口あおり、次の瞬間テーブル上のナイフに目を留め凝固し"Tosca,finalmente mia!(トスカ、ついにわしのものだ!)"とスカルピアが背後から迫りくるまさにその瞬間はじめてナイフを手に取り振り向きざまに胸に突き立てるでしょう。

M:えぇ.あれは全く正しいと思いますね。むしろト書きの方が間違ってるとしか…。

F:ねぇ、そうでしょ。カヴァラドッシいわく「良い娘だから告解で嘘もつけない」トスカが、いくら追い詰められていても早い段階から殺意を抱いてナイフを持っているのは不自然だわ。まさに切羽詰まったギリギリの瞬間に手に取りとっさの行動に出るのが正しいと思うの。

M:’85年メトのベーレンス、ドミンゴ、マクニールにシノーポリ指揮の映像でも全く同じでしたね。ゼッフィレッリもしくはヴィスコンティの考えでしょうけど。そうだ、四年前の秋に入院してた時、ちょうどカラスの命日だったんで色々聴いてたんです、YouTubeで。

F:朝イチでその日ゆかりの音楽家を調べて連日音楽三昧だったのよね。

M:そしたら病室に入って来たナースが「スゴい声、何ていうひと?」と訊くんでまず二十世紀最高のプリマドンナであると。それから世界一の大富豪で海運王のオナシスと浮名を流し、悲劇の大統領未亡人ジャクリーン・ケネディと正妻の座を争って敗れ、傷心のうちにパリで五十代の若さで亡くなったんだよと話したんです。

F:何だか女性誌かワイドショーみたいな切り口ね。まあ若いナースの気を引くには仕方ないかしら。

M:ところが意外に食いつきはもう一つで。聞けばあまりにも顔ぶれが豪華過ぎて現実味がないと。

F:ウ~ン、確かにね、ハーレクイン・ロマンスの編集部にプロットを持ち込んでも突き返されそうだわ…。

M:ついでにカラスが実践したというサナダムシダイエットの話もしたらこっちの方に興味しんしんで。

F:まあ今どきの若い娘ならそうでしょうね…そうだわ、ダイエットから思い出したってのも妙だけど昔一緒に出かけたでしょ、京橋のシェ・Iのスペシアリテの仔羊のパイ包み焼マリア・カラス、あれの由来を詳しく教えて。

M:あぁ、昔聞いた話では先年亡くなったオーナーシェフのI.N.氏がパリのマキシムにいた頃、カラス本人が召し上がり気に入って名を貰ったと…ただしちょっと疑問が。

F:あら、なあに?

M:いやI氏がマキシムにいた’70年代前半にカラスがソワニエ(上客)だったのは確かでしょうけど、当時まだ二十代で日本人のI氏が直接皿を提供出来るポジションにいたとは考え難いんですよ、せいぜいコミ止まりで。

F:そうね、最近でこそ本場で赤い表紙の本の星を獲得した日本人シェフも増えてるけど。

M:それでI氏は帰国してシェフに就いた銀座Lで最初に提供したはずですけどカラスが来日時に訪れたかは不明で…。

F:ほら私たちたまたま他のお店にお客さんとしていらしてたIさんのあんまりお行儀の良くない姿も見てるし、だからってことはないけどハッタリなのかしら…。

M:まあオーナーシェフとして店を回すには少なからずハッタリも必要でしょうし。でも仔羊とフォアグラにトリュフとソース・ペリグーってフレンチの王道の組み合わせを昇華した名品であることは確かですね。

 

(承前)