フョードル・シャリアピン来日(’36)〜「シャリアピン」は料理人や牛肉の部位の名称ではありませぬ…。

Masculin:今日は何の日でしょう?

Féminin:ハイ、モーツァルトのお誕生日、それからヴェルディのご命日でございますわ、旦那様。

M:…ちょっと、その旦那様は勘弁してくださいよ、今さら既成事実化なんて。

F:そうね、さんざん逃げ回ってばかりの誰かさんだし。でも昨日、’74〜5年に世間を震撼させた連続企業爆破事件のうち銀座にあった韓国産業経済研究所に爆弾を仕掛けた容疑者が入院中の病院で確保されたってニュースがあったけど、半世紀も逃げるってある意味大変なエネルギーね…ほら、当時貴方のお母様の銀座のお店にも公安警察が聞き込みに来たって。

M:そうだったんですよ。配達員のアルバイト大学生に過激派らしき男が一人紛れ込んでいたとかで。当時並びにあった大成建設の本社が狙われ被害に遭ったんでバイト中に下見をしていたのかと。

F:その人と面識はあったの?

M:えぇ、高校生の僕も夏休みに交ざって配達してましたから…でも記憶では普通の優男で昨日報じられた容疑者とは似てないですね…ただ、バイト代の受領印を持っていず、たまたま店にいた同姓の女の子のを借りてたとか。あと他の大学生とも仕事後の付き合いは皆無だったと。

F:何だか怪しいわねぇ…その学生もだけどお店の女の子も…。

M:…何ですかいきなり。別に何もありませんでしたよ。北海道生まれでボクより5〜6歳上だったかなぁ…翌年に寿退職したけど。

F:ふ~ん、ちょっとブラフかけたらやっぱり。ワタシだけでなく何だか年上キラーだったって噂もチラホラ聞いておりますし…正直におっしゃい!

M:…参ったなあ、どうしてそう勘が鋭いんですかねぇお姉様は…ハイ、2〜3度食事に誘いましたよ。でもそれだけですっ!

F:ほんとに全く…もう知り合ってたわよね私たち。お母様にも内緒だったんでしょう、高校生のくせに隅に置けないどころか隠れたドン・ジョヴァンニマントヴァ公だったのね、まるで。

M:だから何にもなかったって言ってるでしょう、さっきも言ったように彼女も程なく寿退職したんだから…話を戻しますけど、その大学生の履歴書を警察が持ち帰って調べたら案の定偽名で書かれた現住所も本籍地もデタラメで大学にも籍はなかったそうです…さらに話を戻しますけど、今日はフョードル・シャリアピン来日の日でもあるんですよ、’36年で昭和11年。それでまたテロリズムとの関わりが。

F:テロリズムって…あぁ、二・二六事件の年でほんのひと月前だわ、またシャリアピンはかなり滞日していたのよね…まさか標的になってたとか?

M:いや確かな情報はありませんけど、ただその四年前の五・一五事件の時はちょうど来日中のチャールズ・チャップリンが狙われたって話があったんですよ。だから反乱軍が来日中の文化人を狙い、シャリアピンももう少し日本にいたら巻き込まれていたかも…。

F:ふ~ん、でも大企業や著名人を狙うテロなんて一般の支持なんか得られるわけもないってことを長い時間をかけて学習したものね右も左も…ねぇ、物騒なお話より美味しいお話はいかが?食べ物テロなら大歓迎ですわ♡。

M:…シャリアピンの名を出したから当然そう来ると思ってましたよ。でも最近じゃあ不世出の大バス歌手シャリアピンの名よりもステーキソースとしての名ばかり有名で、既製品もあるし。

F:こないだ京橋のシェ・Iの仔羊のパイ包み焼マリア・カラスのお話したじゃない。音楽家の名前を付けたお料理って他にどんなのがあるかしら。

M:まず有名なのはトゥールヌド・ロッシーニですね。考案したのはいずれも伝説的名シェフのアントナン・カレームかオーギュスト・エスコフィエの二説あるようで、分厚い牛フィレ肉にフォアグラを載せマデイラのソースをかけると…僕の好きなエピソードに、パリの街をうきうきと歩いてたロッシーニがばったり知人と出会い

「おやロッシーニ先生、どちらへ?」

「うん、雉(キジ)を食べにね」

「ハハァ、きっと素敵な方とご一緒なんでしょう」

するとロッシーニ憤然と

「何を言ってるのかねキミ。差し向かいだよ、私と雉だけのね!」

こう言い残して相変わらず軽い足取りでロッシーニは立ち去ったと。

F:ふ~ん、誰かさんとも似てるわねぇ、特別に美味しいお料理を前にすると隣のワタシなんか眼中に無いんだから…築地のМ川本廛で天然物の蒲焼を一口食べて「あぁ一人でくれば良かった」っておっしゃったの忘れませんわよ。

M:ちょっとお待ちを、それはお姉様の方でしょう。ふぐちりなんかつつくとボクを鍋奉行にまつり上げてご自分はひたすら一心不乱で…続いてはペーシュ(ピーチ)・メルバですね。

F:大プリマドンナのネリー・メルバのね。エスコフィエ考案で桃とアイスクリームにラズベリーのピュレをかけて。

M:えぇ、エスコフィエがロンドンのサヴォイホテルのシェフだった頃にメルバ本人に供し、好評で名を冠したと。あとはNYの旧メトロポリタンオペラハウスの隣にあったリストランテエンリコ・カルーソーに作った鶏レバー入りラグーのスパゲッティ・カルーソーですかね。ついでにベルリン・フィルの何度目かの来日途上のチャーター機機内食の付け合わせにカルトーフェル(ポテト)・カラヤンてのが出て、楽団員は面白がってナイフで刻んだりフォークを突き刺したりしてたけどカラヤンは素知らぬ顔だったとか。

F:ねぇ、今までのはパリ、ロンドン、NYと来たからやっぱり次は東京が発祥のシャリアピン・ステーキね。でも他のお料理も同じでしょうけど、ずいぶん昔からオリジナルの帝国ホテルを離れて街のお店でもメニューに載ってるからだいぶ変化しちゃってるんでしょ。アナタが言ったように既製品のソースなんかもあるし。ここはひとつ、正統的なルセット=レシピをお願い。

M:まあボクも帝国ホテルで修行したわけじゃないから聞きかじりではありますけど…そもそも来日中に歯の具合が悪かったシャリアピンが柔らかい牛肉を食べたいとリクエストし、帝国ホテルニューグリルの料理長筒井福夫シェフが考案したのが赤身の和牛ランプを叩いて延ばし、すりおろしの玉葱で一時間マリネしアセゾネしてフライパンでソテー。別に飴色になるまで炒めておいたみじん切りの玉葱でフライパンをデグラッセしてソース代わりに肉に載せたステーキで一説にはすき焼の割下の味わいをイメージしたとも。結果大歌手のお気に召して名前をいただいたと。

F:ありがとうございますシェフ。でも決して難しくはないし、材料も特別なものもないから家庭での再現性は高いわね。お肉の部位は好みとお財布次第だし、叩いたりマリネするのも歯が丈夫な人なら必要ないかもだし。ねぇ「我等のテナー」藤原義江さんがシャリアピンに対抗して作らせたステーキもあるんでしょ?

M:えぇ、その名もフジワラステーキで、晩年ずっと帝国ホテルで暮らした藤原氏だから遠慮したのか代官山O軒で作らせたとか。肉はフィレで玉葱の代わりにデュクセル・ドゥ・シャンピニオンをたっぷりなすりつけると。

(承前)