Féminin:…あら、珍しいわね。スビャトスラフ・リヒテルって一度も実演は聴かなかったじゃない、お互いに。機会は何度かあったけど。
Masculin:そうでしたね。いや無関心だったわけじゃなく、敬して遠ざけてたというか…。
F:ウチの父も同じようなこと言ってたわ…大体旧ソ連や東側の演奏家には。あの人は何度か聴いたらしいけど…それでまた貴方のあんまりお好きじゃないラフマニノフのハ短調コンチェルト。何だか波乱含みね。
M:そんな大げさな…でも我々の頃にはもうリヒテルも幻のピアニストでもなく、しっかり実体のある存在でしたよね。
F:そうね、’70年大阪万博の時に初来日して、いざ来てみたらカメラを下げて万博会場を歩いてたりもする普通のおじさんだったって話もあったし。
M:インタビューでアメリカの良い点はと問われ「カクテルが美味しいことだよ」と本気とも冗談ともつかない答えをしてましたしね。でも旧ソ連では父親がドイツ人という出自で辛酸を嘗めたりもしていて、そのせいでなかなか西側に出られず幻の存在だったわけだけど。
F:そういう艱難辛苦がやがて偉大な芸格に結びつくってアイロニーの体現者でもあったのよね。つくづく芸術の不思議を感じるわ…で、本題に入りましょ。
M:ハイハイ、何だか最近のお姉様はせっかちですねぇ、奇跡の美魔女様も寄る年波か…。
F:…何かおっしゃいました?
M:いえ別に…ほら、ちょうど十年ですよもう、ソチの冬季五輪から。
F:…分かった、女子フィギュアスケートの浅田真央ちゃんね。この曲の第1楽章で滑ったフリーの演技は本当に素晴らしかったわ…順位も点数も関係なく、観た人全ての心をあれほど強く揺さぶったスケートって空前絶後じゃないかしら…涙しない人は皆無だったでしょうね。
M:さすがお姉様、昔から変わらずまさに打てば響くがごとしで。その五輪の直後に、同じくらい明敏な若い女性に出逢ったんですよ…。
F:…昔からは余計ですわよ。それにまたご自分の年を考えずに鼻の下を伸ばしてたの?
M:そういうわけじゃ…ほらその前後十年にわたってS路加国際病院からウチの母の訪問看護にナースが来てくれてたでしょ、週三で。それに月一で研修医が往診の名目で随伴してたんです。
F:…そう、貴方の十年以上に及んだシングル介護の日々ね。私は何にもお手伝い出来なかったけど…たまに貴方の息抜きにご飯とお酒をご一緒するくらいで。
M:…まあそれも過ぎ去った遠い日々です…ところが研修医も千差万別で、大半は血圧その他のバイタルチェックの後ナースと一緒に本人の身体ケアも手伝ってくれるんですけど、中には何するでもなくボーっと突っ立ってるだけのとかもね。ついには気の強いナースから「先生、お先にお帰りになっても結構ですよ!」なんて叱られるのも。
F:訪問診療も臨床研修医としての重要なプログラムでしょうにね。そういう先生もしかるべき医大を卒業して当然国家試験に受かってるんでしょうけど…そう言えば何年か前に三人の息子さんを揃って東大理Ⅲから国家試験を通したお母さんの自慢話本が話題になったわね…。
M:その三兄弟が今どこでどうしてるのか、まあさして興味もないけど。ところでそのソチ五輪のすぐ後に来た研修医が若き日のお姉様を彷彿させるような才色兼備のひとだったんですよ。比較的小柄なところは違うけど、もうガラスケースに入れて飾っておきたいくらい。
F:またアナタの人一倍大きなパッチリお目々がハート形になってたんでしょうね、知り合った半世紀前のあの頃と同じに(笑)。
M:…それはともかく、そのひとはきちんと挨拶を済ませるとテキパキと一通りの医療ケアも実に手際良く行い、その辺でもう大したものだなあと…後日一緒に来たナースに聞いたら、やっぱり病院内でも飛び切り優秀なレジデントだと評判だったって。そして一段落したところでその先生が母のベッドサイドの介護用テーブルにあったフォトスタンドに目を留めて。
F:お母様のベッドの脇には吸引器なんかと並んで貴方のお祖母様のお写真があったわよね、古いモノクロで…確かアナタの七五三の時の。
M:えぇ、ところがその写真を見た十人が十人みんな母本人だと思い込んでたんですよ、ナースも週一の訪問入浴サービスのスタッフも。
F:ウ~ン、確かにお母様はそのお写真のお祖母様に良く似てらしたけど、そこに寝てらっしゃるご本人のお写真を横に飾るって普通はちょっと…。
M:そうお思いでしょ、たとえ要介護5で意思疎通のかなわない状態でもね。そうしたらその先生は
「失礼ですけどこのお写真、お母様に良く似てらっしゃいますけどお着物で髪型も昔風だし、もしやお祖母様ですか?」とズバリ正解で。僕も思わず
「ご名答です!すぐそこのT砲洲稲荷神社で僕の七五三に撮った写真で。ほら千歳飴の袋持ってますでしょ、半世紀も昔ですけど」と。
F:やっぱり本当に優秀なひとってそういうものなのね。目から得た情報を的確に分析して、勝手な思い込みでなく冷静に判断して速やかに正しい結論に至らしめるって。臨床医としても得難い資質じゃないかしら…ところで浅田真央ちゃんはどこへ行ったの?
M:ハイハイ、それで母の一通りのケアと片付けも終わったところでエスプレッソを淹れて一息ついてくださいと二人に出したんです。それでふとリビングのテーブルを見たら五輪の女子フリーの後に余韻のつもりで聴いてたこのリヒテルのCDが置いたままだったんでプレーヤーのトレイに。すると冒頭のソロを聴いて彼女
「…あっ、ラフマニノフの2番、こないだの真央ちゃんですね…誰の…やっぱりリヒテル、私も大好きです!」
F:ふ~ん、アナタのお目々は一体どうなっちゃってたんでしょうね。まあ真央ちゃんが実際に使ったのがリヒテルだったかは定かじゃないけど何ていっても最高の名演は疑いないところですものね。そう言えば皇后陛下雅子様も外務省時代にこの演奏がお好きだったとか。
M:…通勤でお乗りだったカローラⅡのラゲッジスペースにカセットテープがあったとやらで、優秀な女性を惹きつける何かがあるんですかね、リヒテルのピアノには…それにしてもどうしてるかなぁ、あの先生。後日聞いたところではS路加からキャリアもさらにステップアップしたそうで、十年経った今はもう立派な一人前のドクターだろうし…。
F:もう何やら遠い目になっちゃって…でももし私たちに娘がいたら、ちょうどその先生くらいの年頃だったわね…。
M:…ゴホン、ゴホン…。
(Fin)