「ラタトゥイユ=野菜のごった煮を冷やしたもの」〜辻静雄。

Féminin:…ふ~ん、辻静雄さんてあの辻調グループの創設者の方でしょ?辻調理師専門学校(当時)の初代校長で、文化としてのフランス料理を日本に定着させた功労者の方よね。そんなことをおっしゃってらしたの…確かにその通りでしょうけど。

Masculin:えぇ、昔お書きのエッセイでね。もともと新聞記者でらしたから筆の立つ方だったんだけど、その脚注でこう端的に。まあまだまだわが国でフランスの地方料理なんかは馴染みが薄かった時代ですからね。ちなみにそのエッセイはホテルのレストランで慇懃無礼なギャルソンに場馴れしてない客と見くびられ、不快なあしらいを受けた友人にリベンジの秘策を授けるって痛快な内容でしたけど、長くなるから…。

F:そう言えば貴方のラタトゥイユのルセットを詳しく聞いたことは無かったわね。何度もおすそ分けはいただいたけど。

M:そうでしたね。やっぱり一度仕込むと結構大量に出来るんで一週間毎日なんてことになりかねないんで、お姉様にお届けしたり母の介護期間には訪問のナース諸嬢に試食してもらったり…そうそう、もう十数年も昔だけど職場内で天然で知られたナースに出したら

「美味しい!イタ飯屋さんと同じ味がします」ですと…。

F:うふふっ、腕に覚えのアナタとしては素直に喜べなかったでしょうね、確かに。

M:ねぇ、その頃雨後の筍のごとく増えてた街場のなんちゃってイタリアンなんかと一緒にされちゃ…実際近所のワインパブで食べたのなんかトマト感が薄いところに牛蒡や筍に蓮根まで入ってるものだから、まるで洋風筑前煮でしたからね。それじゃあ改めて。まず煮込み鍋で潰したニンニクのアシェをピュアオリーヴオイルでスェエします。これはイタリアンのやり方でフレンチでは途中で加えるのが主流みたいですけど、ニンニクの香りが突出するのが嫌いなんで。

F:イタリア人て意外にニンニクの香りには敏感なのよね。私も貴方と一緒で、とげとげしい香りは苦手だわ。

M:次いで1センチのデ(角切り)の玉葱を加え、トマトペーストと湯むきして横に切ってから六等分したトマトも加え、軽く塩をして煮詰めます。

F:生のトマトだけでなくペーストも使うのは、やっぱり日本のトマトだけじゃ味が薄いから?

M:ご明察で。缶のホールトマトを使う手もあるけど、下手すると出来上がりがトマトの味で塗りつぶされて他の野菜の持ち味がかき消されかねないし、やっぱりトマトのフレッシュ感も欲しいんで。煮込みのベースはここまでで、次いで楽しい野菜の仕込みへと。

F:使うのはお茄子、ズッキーニとパプリカね。前に貰った時はセロリやシャンピニオンも入ってたかしら。

M:基本は前の三種で後の二つはお好みで。ただしあればズッキーニは緑と黄、パプリカも赤と黄と色違いを混ぜて下さい。色だけでなく、味も食感も微妙に違って変化が付くから。全て2cm角のデに切り揃え茄子は水に放ってアク止め。フライパンでピュアオリーヴオイルを使いズッキーニ、茄子、パプリカの順に軽く焦げ目の付くくらい強火でソテーし、煮込み鍋に加えます。

F:ソテーするのは煮崩れを防ぐためかしら?

M:そう、それと野菜それぞれの持ち味を閉じ込めるためで。ひとつひとつの素材の味が際立ちつつ、全体がまとまってるのが理想ですから。新鮮な揚げ油が大量にあれば軽く素揚げって手もありますけど。全部鍋に移したら赤ワインヴィネガーを振りアセゾネしてカイエンヌ・ペッパーとブーケ・ガルニを加えオーヴンに鍋ごと入れます。

F:煮込み時間は?全体の量によって違うわよね。

M:基本15分で、途中かき混ぜて具材の歯ざわりと味の染み方を確認して下さい。余計な水分が残ってたら直火で飛ばし、最終的な味の確認を。冷製で出す場合はしっかり目の塩加減が鉄則です。お得意のウフ・ポシェ(ポーチドエッグ)を乗せ、EXヴァージン・オリーヴオイルを垂らし松の実やハーブで飾ってどうぞ。

F:…もう、ワタシがポーチドエッグを上手く作れないの知っててそんなイジワルを…いいわ、その辻校長がお友達に授けたリベンジの内容を教えてちょうだい、参考にするから。

M:ヘッヘッヘ、いや辻氏は友人に当時のホテルのフレンチでは未だ馴染みの薄い料理名を幾つかフランス語でレクチャーしたんだそうで…ビスクやテリーヌにビリ・ビやラタトゥイユやらを。それらを一夜漬けで綴りごと懸命に覚えた友人は同じ店に再び出向き、案の定現れた先日の慇懃無礼なギャルソンにメニューを開きもせずそのままフランス語でオーダーをぶつけ、うろたえた先方に

「何だったら今言ったメニュー名を全部フランス語で書いてあげましょうか?その紙をシェフに見せればたちどころに判るはずだから」と止めを刺し、ギャルソンは慌てて厨房に走ったと。

F:痛快なリベンジね。確かに昔のホテルには失礼な黒服サービスマンがちょくちょくいたし。ウチの父も時々腹を立ててたわ…「どうしてアイツらは客より偉そうにしとるんだ」って。

M:ややあって厨房から現れたシェフは

「どうもまだオーダーも取れない未熟なサービスで申し訳ありません。生憎ビスクやビリ・ビはすぐには無理ですが、本場のニースで覚えた私のラタトゥイユならお客様のような通の方のお口に合うと思います…いやぁ最初『ガタトー、ガタトー』と言うので何かと思いました(笑)」

 そんなシェフとのやり取りを横でハラハラしながら聞いてるギャルソンを見て、友人は勝ったと思ったと。ところが覚え込んだフランス語なんかで頭が一杯になってたものだから、その後次々と供されたラタトゥイユはじめせっかくの料理の味がまるで分からなかったんですって。

F:ふ~ん、それじゃあまるでアナタがせっかく腕を振るってくれても、時々講釈ばかり多過ぎて肝心のお料理の味が良く分からなかった時とそっくりね(笑)。

M:…ウ~ン、見事にやり返されたなぁ…。

(Fin)