○の素のこと。

Féminin:…なぁに、○の素って…味の○のことでしょ、はっきりおっしゃったら?

Masculin:いやもしや差し障りがあるんじゃないかと。今や日本最大の食品メーカーの会社名でもあるわけですしね…それじゃ一般名称のグルタミン酸ナトリウム…じゃあ長いから略称МSGで。最近またそのМSG是非論が盛んのようで。

F:ねぇ、はっきりした根拠もなく身体に良くないって頑なに信じ込んでるひとも少なくないみたいだけど、本当にそうなら開発元でもあるメーカーがあんな大企業になってるはずもないわ。味の問題はまた別で、使う使わないはお料理するひとと召し上がるひとの勝手に過ぎないのにね…でも貴方は昔実際に気分が悪くなったことがあるんでしょ。

M:そうそう、半世紀以上前の中学時代ですけどキッチンで麦茶をグラスに注ぎ、ふと気まぐれにそのМSGの粉末を振り入れてゴクリと一口飲んだんですよ。そうしたら途端に舌が痺れる感じとイヤな後味が口の中一杯に広がって後から胸焼けも…だから昔アメリカで言われた「中華料理店症候群=チャイニーズレストラン・シンドローム」を全否定できませんね、体験的に。

F:よっぽど沢山入れたんじゃないの?

M:いやせいぜい耳かき一杯ほどだったと。それで強権発動、わが家のキッチンから放逐しました。もう毎日のように僕がキッチンに立ってましたからウチの母も異存はなかったようで。以来、家ではひとつまみも…まあ鰹節を削るのは日常だったし、カレー作るにも市販のルーなんか使わず鶏ガラからブイヨンを引いてましたから…意識高い系だったんですよ当時から。お姉様は?

F:ウ~ン、ウチの父はどちらかと云うと容認派だったの。母が元気な頃にもお台所にはあの赤い缶があったし。でも貴方の影響でだんだん使わなくなったわ。父もきちんと鰹節と昆布で出汁を引けばそれで十分だよって。その代わり和風の朝ご飯の時は父が自分で毎朝鰹節を削ることになったけど(笑)。

M:確かにそこが問題なんですよね。鰹節と昆布に限らずちゃんとした素材できちんと引いた出汁ならそれだけで必要十分な旨味が出てるはずで…煮干、干し椎茸、魚のアラ、鶏ガラ、豚骨、何であれ。それを知らなきゃМSGに頼りたがるのは無理ないかもだけど。だからやたらと使いたがる人達には「そのMSG、本当に必要ですか?」って訊きたいですね。白湯にMSG入りの顆粒を溶かすのがすなわち出汁を引くことと思ってるんじゃ何をか言わんやですけど。

F:ねぇ、大昔に味…じゃなかったМSGが爆発的に売れて、多分商売敵の流したデマなんでしょうけど工場の天井から無数の蛇の皮を吊るして乾燥させてて、それを挽き潰したのがあの白い粉末の正体だなんて。大正一ケタ生まれの父の思い出話で。

M:大正二ケタのウチの母も同じ噂を聞いてましたね。我々の世代が知ってる似た話は半世紀ほど前の某大手ハンバーガーチェーンの上陸直後のこと、バイトの女子大生が店裏のゴミ箱を開けたら猫の生首があって、思わず悲鳴を上げたら店長が飛んで来て一万円札を数枚握らせたなんて…蛇も猫もその方がよっぽどコストが高くつきそうだけど(笑)。その後はパティの原材料がミミズだなんてのも…まあ出る杭は打たれるの典型で。

F:ほら、人気グルメ漫画で否定的に描かれたんですってね、どんな内容だったの?

M:あぁ、あれはアメリカ人の板前を軽んじた人物を諌めるために主人公が百貨店の食品売場で働くスタッフを集め、鰹節と昆布だけで引いた吸い地とМSGを加えたものとを試させると大半が加えた方が濃厚で良い味が出てると。一方アメリカ人はそっちは不自然で、鰹節と昆布だけの方が自然な味であると。

F:つまりアメリカ人の板前さんが素材の味を理解し、知識も経験もある食品売場の皆さんは余計な味を加えたものに慣れていたってことなのね…確かに現実にありそうな話ではあるけど。

M:そういうことで、でもそこが問題なんですよ。隠し味程度ならまだしも旨味成分て重ねれば重ねるほど、それ以前が物足りなくなり際限なくなるんで…だから最近の一部のラーメン店なんぞは豚骨だ鶏ガラだ煮干だ魚介だ野菜だと片っ端から重ねまくってもう何がなんだか判らなくなってて…MSGの使い過ぎと同じですね。料理は足し算だけでなく引き算も必要なんですけど。

F:ほら、やっぱり大正生まれの吉行淳之介さんがおっしゃってたの。

「あの白い結晶は家庭料理の場合には役に立つ。ただし、一級の料理の場合は、舌の上で味が散らばってしまうので私は好まない」(「贋食物誌〜鮫」)って。その不自然な味を的確に表現してらっしゃるわ。一級のお料理って食材の組み合わせ以上に余計な夾雑物を除いた引き算が肝心なんでしょうし、それで微妙なバランスを保っているんでしょうから。

M:同じ本で親友かつ悪友でいらした阿川弘之氏を

「食通をもって自負しているが、(MSGの)愛好家で、味もみずにこれを振りかける。甚だ見ぐるしいので、一緒に食事をするのを好まない」とバッサリやってらっしゃいましたね。その一方で明治生まれのプロ中のプロである「天皇の料理番」こと宮内庁厨司長秋山徳蔵氏や大阪吉兆創業者湯木貞一氏は肯定的だったんですよ。お二方とも随筆に書いてらっしゃって。まあ受容の時代も違ったんでしょうけど。

F:私は以前貴方からも仕込まれたように削りたての枕崎産の雄節と利尻の一等検昆布で一番二番ときちんと引いたお出汁をお吸い物に煮物にと使って、それで満足しておりますけど、何であれちゃんと素材から吟味してこしらえたお料理ならことさら化学の力に頼る必要は無いんじゃないかしら、舌がバカになるはちょっと言い過ぎかもだけど…。

M:でも素材から出汁を引くってことすら知らないんじゃあ、舌だけでなく元からバカなのかもですけどね。さっきも言いましたけど出汁とは顆粒を白湯に溶いたり濃縮液を薄めるものだと思ってる向きも少なくないみたいだから…ほら、鰹節と昆布の一番出汁はモーツァルトのヴァイオリンソナタみたいにヴァイオリンとピアノがシンプルかつ玄妙にお互いを高め合うと…全く正しいと思いますね。また鰹節のイノシン酸と昆布のグルタミン酸の相乗効果で1+1が2でなく3にも4にもなると。そこに野暮な電子楽器が不用意に加わったらそりゃあバランスも崩れるだろうし、それが分からないようじゃ味覚障害と云われても。また素材=楽器が増えてオーケストラともなれば、より精緻なコントロールが必要なのは当たり前ですしね。

F:うん、丸谷才一さんもおっしゃってた「名優二人の舞台はお互いがお互いを引き立て合う」というのも同じね。アンサンブルもお芝居も、そこに余計な第三者が入り込んだら台無しになりかねませんものね…。

M:ステテコ姿の植木等が乱入して「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」と、まさにそういうことですね。だから盛大に使いたい人は思うままに使えば良いんですよ。ただし一部の料理研究家なんかは使わないと味が物足りないと言われるのではって強迫観念に苛まれてるとしか思えませんねぇ…まあ檀一雄氏が名著「檀流クッキング」で、とある手抜き調理について

「本人の食べることだ、私は一向にかまわない」ときっぱり言っておられましたけど、つまりはそういうことで…。

(Fin)