Masculin:今年は生誕200年ですね、ブルックナーの。
Féminin:ふ~ん…。
M:…ってまた気のないお返事だなぁ、食わず嫌いはだいぶ解消したっておっしゃってたでしょ。今年はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも若書きの小品だけど取り上げられたんだし。
F:うん、まあ昔に比べればね。ほら父もそれほど好きじゃなかったし、あの人もワーグナーは熱心に聴かせてくれたけどブルックナーは最初から女には分からんよって決めつけていたし…まあ最近じゃあ許されない発言ね、昭和の男性ならではの。
M:確かにねぇ、でも昔「音楽の友」誌が好きな作曲家の読者アンケートを取ったら女性人気ダントツ最下位だったのがブルックナーだったから…ちなみにベストワンはモーツァルトとショパンが分け合ってましたけど。
F:いかにもだけど良く分かる結果ではあるわね。とにかく長いし変化にも乏しいからどうしても眠くなっちゃって。
M:長さならマーラーだってどっこいでしょう?
F:ほらマーラーは山あり谷ありだし、声楽も色んな楽器も使ってカラフルだから。それに彼のワーグナーと一緒で誰かさんが沢山聴かせてくれたし…やっぱり私たちと同じで山あり谷ありだから長いお付き合いでも飽きないのよね(笑)。
M:…甘い顔ばかりしてないでやっぱり時々はハンマーやらカウベルで脅かすのがコツってわけですかね。シンバル一つでも人の意見で右顧左眄してちゃあ流されるのも当たり前で。
F:何のお話かしら…でも7番なら嫌いじゃないわ。旋律美は豊かだし、ほら昔ヴィスコンティの「夏の嵐」を観て、曲の使い方は「ベニスに死す」と同じくらい素敵に感じたし。
M:良かった。それじゃあこのオイゲン・ヨッフム最後の来日時のライヴ盤(Altus)で。個人的には最高の名演だと。
F:’86年の秋でしょ、まだ彼と暮らし始める前だわ…誘ってくれなかったけど出かけたの?
M:いや、残念ながら。ところが翌’87年の元日の午後にNHK教育(現Eテレ)でオンエアがあって、いやもう初詣すっぽかしてかじりついてました…母はカンカンでしたけど。でも当日出かけなかったのを大後悔しましたね。
F:お母様ファーストのアナタだから仕方ないんでしょ…これは昭和女子大人見記念講堂での収録ね。CDもDVDも出てたけど、この時はベルナルド・ハイティンクが来なかったのかしら。
M:少し前に常任を離れるのが決まってたようで…噂では例のクラシック界のマフィアと囁かれたCAMI(コロンビア・アーティスツ・マネージメント・インク)との軋轢があったとか。それでもともとの常任だったヨッフムとウラディーミル・アシュケナージが率いて。だからヨッフムとの息はピッタリだし、もしかしたらコンセルトヘボウの最後の黄金期だったのかも。
F:ハイティンクの後は伝統のオランダ人指揮者じゃなく、イタリア人のリッカルド・シャイーになったのよね。名称も王室からロイヤルを名乗るのを許されて。でもやっぱり変化が避けられなかったのね。ついでだけどそれ以前のメンゲルベルクやベイヌムの時代の録音もロイヤル・コンセルトヘボウ管て書かれてるのはいかがなものかなんじゃない?
M:おっしゃるとおりでございます。やっぱり年代ごとの名称の違いってものは正確に記さないと。フィルハーモニア管弦楽団はニュー・フィルハーモニア管を名乗った時代があるんだし、日本フィルハーモニーは分裂って苦難を経て今日があるわけですからね…まあ我々もハイティンク時代は何となく敬遠気味で、実演に接したのはシャイー以降だけどやっぱり唯一無二の音色のオケと思いましたね。ただし昔を知ってる人はだいぶ変わってしまったと言ってたから、その意味でも貴重な記録ですね。
F:この時はアシュケナージと半々に担当したの?
M:その通りです。5回ずつ振ってヨッフムのメインは全てこの7番。前プロは日替わりでモーツァルトK.319と「トリスタン〜前奏曲と愛の死」でした。
F:ステージにはしっかりした足取りで出てらしたけど腰掛けて指揮してらっしゃるし、この長い曲を5回もって大変でらしたでしょうねぇ…。
M:岩城宏之氏が書いてましたけど、バンベルク響でやはりブルックナーの6番を振った時はツアーの最中でもきっちりプローベして同じ箇所で止めて同じ注意をするし、途中で何度止めるか楽員たちが賭けをしていて最多の回数に賭けた打楽器奏者がガッツポーズしたとか。
F:たゆまぬ努力こそが神の道に通ずるってことなんでしょうねぇ…。
M:終演後、楽屋を訪れたら大声で関係者と話しながら奥さんにズボンを脱がされてて、じっとしてないものだから叱られっぱなしで…その朴訥な姿を見てブルックナーはこの人に限ると岩城氏は確信したんだとか。
F:そう言えば元日のTV以外にもヨッフムのブルックナーで何か想い出があるって言ってなかった、アナタ。
M:そうそう、もう7年前ですねぇ。S国際病院への人生初入院の時、ある日の担当ナースがストライクゾーンまん真ん中だったんですよ、少し小柄だけどいやそれこそ大昔のお姉様に生き写しで。
F:大昔は一言余計でございますわよ…ふ~ん、でもずっとベッドに縛りつけみたいな日が長かったんでしょう。お生憎様ね、何も出来ずに…まあそんなお行儀の悪いひとじゃないのは良〜く存じ上げてますけど。
M:…とにかく、朝イチでドクターと来た時はこっちも控えましたけど、午後に一人で来た時は猛然とアタックしましたね、と言っても一歩も動けないから。
F:きっと色々質問責めにしたんでしょうね、眼科や形成外科の先生もビックリのぱっちりお目々をキラキラさせて、あの半世紀前の学園祭でワタシにしたみたいに。
M:いや、ハハァ。ちょうど日曜しかも6月の第3で父の日だったんです。だから検査も処置もないし彼女もヒマそうで。で、その時YouTubeで聴いてたのがヨッフムが’74年にウィーン・フィルを振った同じ7番で。第1楽章の終わりくらいだったなぁ病室に入って来たのが。それで気づいたら全曲終わってかなり経ってたから小一時間も独占してたんですねぇ、立たせっぱなしで。でも良い娘でしたよ、嫌な顔ひとつせず。
F:お気の毒ねぇ、しつこいオジサンに捕まっちゃってそのひとも…で、どんなお話してたの?
M:いやぁ他愛もない話ばかりですよ…時事ネタからナースを志望した動機とか、病院のそばの美味しいお店の評判とか…長年の地元ですしね。そうそう、聴いてたブルックナーの曲は弦楽器の刻みばかりで奏者は皆ウンザリしてるんだよって話したら「刻みって何ですか?」って訊くんで弓で同じ音を延々と引き続けるトレモロのことと説明して…のこぎりで板を切るか包丁で野菜を刻むみたいにって。
F:…やっぱり昔と変わらないのね貴方。色んな他愛もない話に知的な話題を適度にブレンドするところなんか。それで年下なのに博識で面白そうだし志有りげな男の子だなぁとすっかり騙されちゃって…。単なる「歩くトリビアの泉」なのねって気づいたのはずっと後だったけど(笑)。
M:…ところがその日は父の日だったんで実家住まいという彼女に
「お父さんに何かプレゼントするの?」と聞いたら
「えぇ、甘いもの好きなんでちょっと高いチョコレートを。あと今夜は外で一緒に食事します」
「じゃあお母さんもご一緒に?」
「いえ、母はたまたま今日は同窓会で留守にしてますので父と二人っきりなんです…一人っ娘ですので」なんてやりとりしていて、ふと
「お父さんはおいくつ?」と年齢を聞いたら
「今年でちょうど還暦なんです」と、何と僕と同い年!一気に現実に引き戻されましたね。またそれきり退院まで担当にならなかったのが心残りで…何度か食事を運んで来たけど
「この頃当たらないねぇ」
「そうですねぇ、私も残念です…」なんてやりとりが最後で。
F:ふふっ、いい気味だわ(笑)。でもお見舞いをあっさり断ったから何か怪しいと思ってたらそういうことだったのね。他にも退院の時にウルっとしてくれたナースがいたなんて言ってたわね…まあ入院中にもそれくらいの清涼剤は必要だし、その後の何度かの入院ではもっとご自分の年齢を思い知らされているんでしょうから…病室で一人「雨夜の品定め」しててもね。
M:ヤレヤレ…ところで演奏に戻りますけど、普通前半に比べ後半の二楽章はやや重さが不足というのがこの曲の欠点と言われてますけど、このヨッフムの解釈では全くそう感じさせませんね。
F:うん、そうね。全体が悠然としたテンポで、スケルツォ以降も足取りが堂々としてるからバランスが取れてるみたいで。貴方のおっしゃるとおりの最高の名演ね。当たり前だけど本拠地でなくてもコンセルトヘボウの豊かな中間色の音だし。ヨッフムってひとはバイエルン放響の創立時の常任で、このコンセルトヘボウでもベイヌムの逝去の後に若いハイティンクの補佐をし、バンベルク響でもカイルベルト急逝後の顧問を引き受けて、また若い人たちからも信頼されていたんでしょうね。歌舞伎ならさしずめどちらも先代の又五郎と權十郎を足したみたいな存在だったのね。
M:ヨッフムは再度の来日を聞かれたら
「いや、それは分からない。神の思し召し次第だよ」と言ってたそうですけど、帰国後にアムステルダムで同じブルックナーの5番を振ったのが生涯最後の演奏で、翌年春に天に召されて。まあどちらも一生をブルックナーに捧げたような名指揮者の最晩年に到達した至高の境地ですね…。
(Fin)