「悲愴」の真実とは?

 昨夕、NHKEテレの「パワー・オブ・オーケストラ」とかいう番組の再放送で、司会の稲垣吾郎氏がチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の終楽章を聴いた感想として

「いやぁ、一体どんな人生を送って来たらこんな曲が書けるんでしょうねぇ」とのたまうのを聞き、一瞬絶句した後に深く考え込んでしまったのですねぇ。そりゃあ確かに資質の違いはさておき故ジャニー喜多川氏には決して書けなかった、いや書かなかっただろうと納得はしてしまったのですが。

 皆様ご存知のように、チャイコフスキーは生涯創作の苦難のみならず19世紀の帝政ロシア、いや20世紀のソビエト連邦でも決して認められることのなかった自らの性的嗜好にも悩み続けた末に、「悲愴」初演わずか9日後に今日でもその真相について諸説入り乱れる謎めいた死を遂げたのですが、一方で芸能プロデューサーとして大成功をおさめたのみならず自らの性的嗜好にまつわる欲望をも成功を夢見るいたいけな若者たちを相手にし、いや毒牙にかけて存分に満たし、生涯そのスキャンダラスな事実が自ら築き上げた事務所の強大な力と大手マスコミのあっぱれな忖度のおかげでほとんど明るみに出ることもなく、天寿を全うしたジャニー氏と到底同列になど論ずることなど出来ないと思うのですが、その生まれた時代によってこれほどの対照的なる生き様を見せることになろうとは、まさに「国ガチャ」もしくは「時代ガチャ」であると考えるのですが、いかがでありましょうや「親ガチャ」などと寝ぼけたことをほざいている皆様。

 「悲愴」終楽章の痛切なるアダージョ・ラメントーソこそは、ジャニー氏による性被害に遭い、そのことをトラウマとして心の奥底に抱えておられる全ての方々へと捧げるべきかと思います…。

(Fin)