「寝床 from NY」〜ギルバート・キャプラン指揮 マーラー「復活」。

 …えぇ、どうも毎度のお運びで厚く御礼申し上げます…今さらでございますが古典落語に「寝床」って噺がございまして、とある大店の旦那が下手の横好きの義太夫節をご近所さんやら店の者達にやたらと聴かせたがるってんでまあ一同大迷惑って成り行きなんですが、大昔それのクラシック版てな目に遭っちまったんだってぇお話で、ハイ。

 あれは昭和の59年、西暦で言ったら1984年の春のことでございましたが、知り合いからマーラー交響曲第2番「復活」の演奏会にお誘いいただきまして、まぁ当時は独唱合唱を含む大編成でもありなかなかわが国では実演に接する機会も無い作品だったもんで、これ幸いと即飛びつきました。

 ところが詳しく聞いてみるってえとオーケストラは新日本プロレス…じゃないフィルハーモニーにコーラスは晋友会合唱団とれっきとしたプロの団体さんなんですが、指揮者はギルバート・キャプランなる聞いたこともないメリケンの素人さんなんですと、これが。

 キャプランて言いますとヒッチコックの名作「北北西に進路を取れ」でケーリー・グラントが人違いされる架空のスパイのジョージ・キャプランの名を思い出しちまいますが、こちらのギルバートさんとやらはもともとインスティテューショナル・インヴェスターなる舌を噛みそうな名前の有力経済誌の創業オーナー兼編集長で、若い頃にかの名指揮者レオポルド・ストコフスキー指揮の「復活」を聴いて大感激しちまいましていつの日か自分でこの大曲を指揮してみたいと思いつめ、功成り名遂げてからこれまた名指揮者サー・ゲオルク・ショルティその他のマエストロに個人的にレッスンを受けたりしてついにNYはリンカーンセンターのエイヴァリー・フィッシャーホールで自前で雇ったオケとコーラスでそいつを実現させたんだとか。それで味を占めたか今度は海の向こうでもってんではるばる太平洋を渡って来たわけで。まぁ古今亭志ん生師匠の「寝床」では旦那の義太夫にたまりかねた番頭さんがついにドイツまで逃げちまいますが、こちらは旦那の方がわざわざアメリカからやって来たんで、ハイ。

 ここで種明かしをいたしますと、その演奏会に誘ってきた知り合いってのは東京のホテルオークラに勤めておりまして、実は当時そのキャプランさんの雑誌では結構影響力の強い世界のホテルのランキングをやっとりまして、その最新版でオークラが世界第二位にランクされたんだそうなんですな。となるとオークラとしてもそんなお大尽がはるばる海の向こうからやって来るとなれば下にも置かない「お・も・て・な・し」をしちまうのは世のならいってもんで。聞いた話では演奏会場の手配から自分とこでの打ち上げパーティまで一手に引き受けたとやら。

 でもって当日の確か4月12日だったかと思いますが、別にお御馳走に釣られたわけでもなく渋谷NHKホールへと出向きました。ベートーヴェンの第9をはるかにしのぐ大編成のオケとコーラスには正直圧倒されましたが、演奏も到底素人さんの指揮とは思えない堂々たる仕上がりで、特に終楽章のコーラスを弱音部分では着席したままで終結近くの"Sterben werd’ich, um zu leben!"で一斉に起立させるのは素晴らしいアイデアと感服いたしましたなぁ、ハイ。

 ところが後日聞いた話じゃあ打ち上げパーティの席でもオケのメンバーは「所詮は素人だったね…」などと陰口の叩き放題だったとか…そりゃあそうでしょ兎にも角にも本当に素人さんなんだから。それを承知で自分らの指揮台に三顧の礼で迎えたのはさて一体どこの玄人さんの団体なんでございますんでしょうかねって話ですわね…。

 まあ演奏会自体は大とまではいかなくてもそこそこの成功で、客席も全員居眠りとか小僧の定吉は泣きの涙なんてこともなくキャプランの旦那も大満足で帰国し、さらに募らせた「復活」熱でロンドン交響楽団とヴァージンクラシック、さらには天下のウィーン・フィルと名門ドイツ・グラモフォンに録音するという快挙まで成し遂げたのでございました。

 またそのウィーン・フィルとの録音には自ら大枚はたいて入手したマーラーの自筆譜を元に専門家の手を借りて完成させた新校訂版を使用し、その版は国際的にも高い評価を受けてマリス・ヤンソンスやレナード・スラットキンなどの名だたるマエストロも使用したとやら。

 まあ録音に残されたキャプランの旦那の指揮は正直数多い巨匠の録音に比べちまうと強烈な個性には乏しくまずは無難な出来といったところかもですが、それでもその闇雲にして余人の到底及ばぬ情熱には心底頭の下がる思いです。ほら私らみたいなフツーのクラシックヲタでも、お気にのあの曲を自分で指揮してみたいなぁだなんてとんでもない夢物語を考えるものですが、当たり前ですがなかなか出来ることじゃありませんもので、ハイ。

 惜しくも’16年の元日にキャプランの旦那は天に召されましたが、その功績たるやひとりのディレッタントの域をはるかに超えたものと存じます。今さらながらでありますが「復活」の歌詞から以下の一節を謹んで旦那の霊に捧げるものであります…。

"Aufersteh’n, ja aufersteh’n wirst du(甦れ、そう汝は甦るのだ)"

 おあとがよろしいようで…。

(Fin)