田宮二郎没後45年〜「白い巨塔」は不滅なのか?

Féminin:覚えてる?もう45年も経つのね、暮れの28日…。

Masculin:…そうですねぇ、年末の慌ただしい時にまた驚きのニュースで。

F:…前の晩、逢ってたでしょ?まあ記憶力抜群の貴方だから。

M:えぇ、それは勿論。何か些細な言い合いして喧嘩別れしましたよね…ボクを置き去りにしてさっさと店を後に師走の街へ。さすがに理由までは忘却の彼方だけど。

F:私も覚えてないわ。だけど誰かさんは後なんか全然追っかけてもくれなかったわね…。

M:いやそれはまだワインが残っていたし…「呑み残す酒は無い」ってわが家の家訓なんですよ。「去る者は追わず」もね(笑)。

F:またそんなことばっかり…でも翌晩電話したらケロッとしてたんで呆れたわ。しかもあの後ひとりで何軒もハシゴしたって…年末の盛り場を。

M:まああの頃は個人的にも色々悩んでたし、結局翌年に大学も中退して入り直しましたしね。人生で一番の「シュトルム・ウント・ドランク」の時期だったかも…それで明け方に家に帰り着き、昼過ぎに電話で叩き起こされたんですよ…。

F:あら、ワタシは夜までかけなかったわよ。お酒が抜けて迎え酒するまではご機嫌悪いのを知ってたから。

M:その通りです。ほら、父からだったんですよ。毎年暮になると大掃除で本宅を追い出されてウチに転がり込んで来てて…その頃はもう転がり込むわけにいかなかったから僕を呼び出してたわけ。

F:…そうだったのね。一度もお目にかかれなかったけど、明治生まれのダンディなお父様でらしたんでしょ?

M:そうですねぇ、あの世代としては長身だったし、若い頃からゴルフで鍛えてたから足腰もしっかりしてて長患いもせず満百歳まで生きましたからね。

F:アナタをお仕込みに…あら、はしたなかったわ、お作りになったのは還暦過ぎなんですって?

M:満62の年でしたね…それでその日も突然

「おい、すぐホテルOークラまで来い!」って。

F:二日酔いでいきなり、ご苦労さま(笑)。

M:まぁ押っ取り刀で家を飛び出しタクシー拾ったんですけど、ほら有栖川宮記念公園前のNショナル麻布スーパーの角を曲がったら時ならぬ大渋滞で。

F:あそこは南部坂だったわね、たしか。

M:どうしたのか、何かあったのかと思ってたらドライバーが「あぁ、そう言えばお客さん、さっきラジオで言ってたんですけど俳優の田宮二郎が猟銃で自殺したんですって。確か自宅がこの先の方じゃ…」って。

F:元麻布で仙台坂から入った辺りだったのね。それじゃあお父様もお待たせしちゃって。

M:まぁすぐに天現寺橋の方から回って、さほど遅れず到着しました。当時中二階にあったオークルームって女人禁制のバーで悠然と先に始めてました、親父は。その名の通りオーク材の内装で英国風の造りでお気に入りだったんですよ。

F:そういうシックなバーがお似合いでらしたのね、きっと。そんな場所に不肖の息子は若い身空で二日酔いで駆けつけてしょうがないわねぇ…。

M:前の晩一緒にいて、その二日酔いの原因を作ったのはどなたでしたっけ…ま、それはともかく聞けば父もニュースを知ってて「白い巨塔」はまだ最終回が残ってるんだろうなんて話をしつつ迎え酒呑って帰宅しました。

F:田宮さんの自殺って大きな事件のその日に、二日酔いで現場のすぐそばにいたなんて何だか失礼ねぇ…。

M:いや、まぁ…でもおかげで強く印象付けられましたね、この「白い巨塔」ともども…ところで最初にご覧になったのは、やっぱり’78年CXの田宮版?

F:うん、’67年NETの佐藤慶さん主演版も少し覚えてるけど、ちょうどその頃に母の具合が…。だからとても観られなかったの。

M:…そうだったんですね。僕は’69年に単行本で正続一気に読んで。ドラマではやっぱり’78年版ですね…そう言えば6年前に人生初入院した時、貴重な体験をしたんですよ。

F:またストライクゾーンまん真ん中のナースのひとに巡り会ったお話?ワタシというものがありながら。

M:違いますよ、ある日病室で千葉テレビを観てたら’66年大映山本薩夫監督版のオンエアがあったんです。ほら、その大映版はまだ続編が執筆される前の正編のみの制作で、財前が勝訴して第一外科教授に上り詰め一方の里見は石もて浪速大医学部を追われるラストだったんです。

F:うん、それで?

M:そのラストシーンで田村高廣扮する里見が無念の思いを秘めて振り返る浪速大医学部付属病院の建物が、何と今入院してるS路加国際病院の旧館だったんですよ。

F:へぇ〜、それも不思議な話ね…あら、ほぼ半世紀の隔たりだったんじゃない?

M:そうですねぇ、ほらあそこは建物中央の鐘楼の天辺に十字架があるけど、国立大医学部にそれがあってはマズいんでトリミングしてフレームアウトしてましたけど。

F:ウチの父も入院した今の病棟はワンブロック東だけど、そもそもアナタのお家ってその旧館の真ん前じゃなかった?

M:そうなんですよ。で、里見が去るロングショットはどうやらわが家の玄関先辺りにカメラを据えて撮ったとおぼしいんだけど、当時母からも祖母からもそんなロケがあったとは聞いてないし。

F:まだ真面目な小学生だから、勿論学校に行ってたわよね、アナタは。でもあの作品は題材が題材だからどこの病院からもロケを断られたそうだけど、せめて外観だけはその「白い巨塔」に相応しい堂々たる画が欲しかったんでしょうね。となるとぴったりの建物で。

M:まあ三島由紀夫も名短編「橋づくし」で「壮大な建築」と書いてますからね。本編に戻りますけど、最初だからってわけじゃないけど、やっぱり財前五郎=田宮二郎なのは仕方ないですね。後の誰も到底及ばない、それほどのはまり役であるとしか。

F:そうね、敢えて言うなら自分自身の野望に殉じたような壮絶な最期を遂げたところまで…言うなれば田宮さんてその人が財前五郎そのものを生きたと言っても過言じゃないくらいだし。

M:それにしてもこの「白い巨塔」が繰り返し映像化されてるってことは、様々な野望と欲望が渦巻く大学病院の実態が執筆当時とほとんど変わっていないことの証明なんでしょうね。

F:うん、そうね。山崎豊子さんの作品だと「華麗なる一族」の銀行業界は徹底した再編が完了したし、「不毛地帯」の主人公のモデルとされた人物はシベリア抑留について何も語らずに他界したし、「沈まぬ太陽」の航空会社は地平線の彼方に沈むのは免れたけど白夜を漂うような低空飛行が続いてるし…。

M:かくして「白い巨塔」のみが不滅であると…。

(承前)