「冒険者たち」(’67年仏)、そして「鬼平犯科帳〜本所・桜屋敷」。

Masculin:何ですか改まってご質問だなんて。まぁ今に始まったことじゃないけど、お姉様の年甲斐もない素朴な疑問シリーズは

Féminin:まぁ失礼ね。そりゃあ知り合った大昔から、年下なのに博識な坊やと一目置いてはおりましたけど…ほら、このロベール・アンリコ監督「冒険者たち」。貴方も好きな映画の一本だっておっしゃってたわね。

M:えぇ、まあ僕の観た歴代のフランス映画でも五本の指に入るかなぁ…まあ公開当時からファンの多かった作品だし…あれ、もしかして封切りの時にご覧になってます?

F:うん、中学2年だったけど、父と一緒にね。アナタは?

M:僕は中3の頃、初オンエアで確か前田武彦氏の頃の「ゴールデン洋画劇場」でしたね。封切り時はまだ小5だったから。

F:そうね、まだお母様と一緒に東宝特撮映画ばかり出かけてた頃ね(笑)。

M:…いやそろそろ飽きてきてましたね。でもさすがにまだひとりで映画館には行かせて貰えなかったし。まあでもこれは最初に観た時からすぐに気に入りましたね。その後’85年にレーザーディスクプレーヤー買って、真っ先に手に入れた何枚かのディスクの一枚だったから。

F:それで思い出してたんだけど最初に観た時、ウチの父もすごく気に入ってたの。

M:お父様が…確か大正生まれでらっしゃいましたよね、当時はおいくつくらい…。

F:確か四十代後半ね。ほら、これの何年か前には母と一緒に「太陽がいっぱい」とか「地下室のメロディー」なんか観てて。ところが母がアラン・ドロンのことを「ステキねぇ…」なんてのぼせてたんで少し妬いてたみたいなの、父は。だからこれを観る前もドロンは「どうもいけ好かない奴なんだがなぁ」なんて(笑)。

M:同じ思いの戦中派日本男児は少なくなかったろうなあ当時、それなのにこれは?

F:うん、ずいぶん気に入ったみたいだったの…ほら、母がもう身体を悪くして入院してたから「おい、今度の映画のドロンはなかなか良いから、元気になったら名画座にでも一緒に観に行こう」って励まして…果たせなかったけど。

M:…そうでらしたんですね…でもその憎っくきドロンを含めて映画自体を気に入ってらしたんでしょう。

F:そうだったみたい。ほら、フランス映画には良く母も私も連れ出してたんだけどその中でもね。それとほら、あの人も大好きだったの、これが。

M:…あぁ、でもあの方は公開当時二十代だったのかな?

F:そう、大学院生だったはずね、まだ知り合うずっと前だけど。ほら、ワグネリアンだしハリウッド映画なんかはむしろ馬鹿にしてて。それでもこれはやっぱり大好きで「生涯の五本だよ」なんて言ってたわ…貴方と同じような感想ね。それでその素朴な疑問が沸々と沸き起こったの…つまり’20年代生まれの父と’40年代生まれのあの人と’50年代生まれの貴方と三世代の男の人が揃って大好きだってこの作品の魅力はどこにあるのかしらって。

M:ウ~ン、確かに。まあ映画的な魅力は満載ですよね。今風に言うなら主役三人のキャラは立ってるし、空撮に水中撮と見どころも多いし、アンリコと名コンビだったフランソワ・ド・ルーベの口笛をフィーチャーした音楽もとりわけ耳に残るし…あ、そう言えば封切りでご覧の時、エンドロールでドロンのお世辞にも上手くないヴォーカルが流れたでしょう、覚えてらっしゃいます?

F:うん、そうそう。後でDVDやオンエアで観たらラストシーンのフォール・ボワイヤール(要塞島)の上空を旋回するヘリから撮ったエンドロールに重なるのがピアノソロだったんで、それがやっぱり正解と思ったわ…。

M:僕が買った最初のレーザーディスクも同じだったんですけどドロン人気を当て込んで配給元が出過ぎた真似をしたらしく、シングル盤も出したみたいで。それから自分の個展でジョアンナ・シムカスが着てるメタルプレートをつなぎ合わせたドレスがあるでしょう?

F:うん、あれは確かスペイン生まれのパコ・ラバンヌってデザイナーのお得意だったのよね…ほら、アナタの大の憧れオードリー・ヘプバーンも同じ年の「いつも2人で」で着てたわ。ちょうどあの頃はツイッギーが人気だった頃だし、ああいったスレンダーなひと専用みたいなデザインだったかも。

M:いや、昔のお姉様だってきっとお似合いだったんじゃないかなぁ、それどころか今でも。シワも白髪も無く知り合った昔とほとんどプロポーションの変わらない噂の美魔女様だし。

F:…あら、ナマイキだった昔ならそんなお世辞とは無縁だったのに。それどころかメリハリが無いなぁとかどっちが背中ですかなんてしょっちゅうからかわれてたじゃない?

M:いや、ハハハ…まぁ痩せの大食いは相変わらずですけどね(笑)。

F:ウ~ンもう、また一言多いんだから…それはともかく、昔パリにいた時にこれのロケ地に行こうと思ったんですって?

M:えぇ、もう四十年近く前ですね…パリでぶらぶらしてるのも飽きたんでちょっと足を伸ばそうかと。ラ・ロシェルから大西洋に突き出たイル・ド・レ(レ島)って有名な観光地で。

F:牡蠣とかムール貝なんかの海の幸が美味しそうなところね…あら、また笑われるわ。でも結局行かなかったんでしょ?イザって時になると思い切りが悪いのもいつものことだったのね、私が彼を見送って実家に戻ったあの頃も、そのずっと昔も…ふふっ、さっきのお返し(笑)。

M:…とんだ逆捩じだなぁ。あと以前に川本三郎氏がこれと「明日に向かって撃て!」の二本を「聖三角形の夢」って評してたんです。

F:それっていわゆるドロドロした三角関係の話じゃなくって、どこか透明な三人の在り方を表現したのかしらね。それがまたいろんな世代の男の人達に好感されたってことかしら。トリュフォーの「突然炎のごとく」や「恋のエチュード」ともまた違って。

M:恐らくね。でもこれは公開当時本国ではあまりヒットしなかったんですよ。原作者ジョゼ・ジョヴァンニも出来栄えに不満のあまり後日譚の「生き残った者の掟」のメガホンを執って。だからはるばる現地までわざわざ出かけたのは日本の映画好きだけだったそうで。ある映画ライターがあの要塞島まで行ったら現地のガイドに「映画観てやって来たジャポネはアンタで三人目だよ」と言われたって。その後’90年代にTVのサバイバル番組で有名になったとか。

F:映画に戻りますけど、ほらこれの主役三人はみんな夢破れてもう何も失うものが無い状態で、コンゴ沖に沈む財宝発見って途方もない冒険に向かうわけよね。それがまだ十代だった貴方や二十代の彼はともかく、もう良い中年だったウチの父も共感したのが面白いわ。まあリノ・ヴァンチュラはもう中年の設定だったけど、結局三人とも案外ロマンティストだったのね、世代を超えて。それにシムカスのアップを観てると、監督のアンリコの想いが画面から滲み出てるのが良く分かるわ。

M:ウ~ン、確かにアンリコはこの前後シムカスを続けて使ってるし、公私ともに親しかったみたいで…やっぱり分かるものなんですかね、女性目線では。

F:そりゃあね、どのショット観てもこっちが気恥ずかしくなるくらいでしょ。もっとも少し後にシムカスは「失われた男」で共演したシドニー・ポワチエと結婚して添い遂げたから、もしかしたらご本人にも思い出の作品なんでしょうね。

M:お母様はドロンがお好きだったそうだけど、お姉様はどうだったんです?まあ我々の間でもあんまり話題にしなかったから。

F:そうね、特に好きってわけじゃなかったわ。それよりどの映画でも何だか一人だけ無駄に派手な死に方をするでしょう?ああいったとこが苦手。これでもレティシアやセルジュ・レジアニのパイロットの呆気ない最期に比べても何だか大見得を切るみたいで。

M:ねじれたヒロイズムとでも言うべきかなぁ…スターだから監督もそういう要求に従わざるを得ないんだろうし。ヴァンチュラみたいないかついのもお好きじゃなかったですよね。そうだ、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」にこれの影響を受けたとおぼしい一作があるんですよ。ほら、今度幸四郎の新シリーズでも最初に公開される「本所・桜屋敷」。

F:…あぁ、確か亡くなった播磨屋さんのシリーズで観たかも…詳しくお話してちょうだい。

M:「若き日の長谷川平蔵と親友の岸井左馬之助が共に剣の腕を磨いた高杉銀平道場の隣には山桜の見事な屋敷があり、二人はそこで暮らす名主の孫娘おふさに想いを寄せていたのだった。おふさは大店へと嫁いだが不幸が続き、やがて婚家の無体な仕打ちで石もて追われ、その後御新造におさまった相手の御家人をそそのかし遺恨を晴らさんと企てるまで身を持ち崩したがあえなく捕えられる…」

F:うん、だんだん思い出したわ。続けて。

M:「ところがお白洲に引き出されたおふさは平蔵は勿論、左馬之助の顔も全く覚えておらず、二人が焦がれたかつての面影はまるで無く男を手玉にとる奸婦になり果てていたのだった。お裁きの後で平蔵が苦しげにつぶやく…。

『女という生きものには、過去もなく、さらに将来もなく、ただ一つ、現在のわが身あるのみ…ということを、おれたちは忘れていたようだな…』

それを聞いた左馬之助の両眼からは涙がとめどなく流れる…やがて時は移ろい再び桜の季節が巡り来たある日、荒れ果てた思い出深い桜屋敷に舟で訪れた平蔵は満開の山桜の下にひとり悄然と佇む左馬之助の姿を見出し、何も告げることなくそそくさとその場を立ち去る…」

F:…「インスピレイション」のギターが鳴ってるわ…ジプシー・キングスの…ド・ルーベの口笛にも似て聴こえるかしら。ただし女という生きものの端くれであるワタシとしては、必ずしも平蔵さんのご意見に賛同は出来ませんけどね。でも確かにこの「冒険者たち」を裏返しにしたようなお話ねぇ…コンゴ沖の夕陽を浴びて永遠に去ったレティシアと江戸の闇に落ちてなお永らえるおふさと、ともにふたりの男性の心に忘れ難い想い出だけを刻み付けて…一人の女と二人の男の微妙な距離と関係性って共通点ね。池波さんて大変な映画好きでらしたんでしょ?試写会にも映画館にも足繁く通ってらしたって。

M:えぇ、だから確実にこれは公開当時ご覧になってらしたでしょうし、また「鬼平犯科帳」の連載開始も同じ’67年なんですよ。エビデンスというか傍証としては十分でしょ?

F:うん、さすがのアナタでらっしゃいますこと、勉強になりましたわ(笑)。でもホントのところ、女の私としては殿方の皆さんほどこの映画にのめり込めないのよね。レティシアにもそれほど感情移入出来ないし…まぁ二人の男のひとの間で揺れ動く気持ちの心地良さと後ろめたさの微妙なセパージュは理解出来なくもないけど。

M:…へぇ、意外と悪女でらしたんだなぁ。もしかしたらお姉様とあの方、それにボクはレティシアとロランにマニュみたいな立ち位置だったのか…ロランだけ先に旅立ったけど…。

F:そうね。だからジョゼ・ジョヴァンニの原作のタイトルのように「生き残った者の掟」で、またこんなお話を色々二人で続けましょ、○mazonの意地悪になんか負けずに…。    

(Fin)