チャールトン・ヘストン生誕100年。

Masculin:というわけですけど、一緒に映画館で観たのってありましたっけ、主演作で。

Féminin:…うぅん、私も覚えてないわ。「ベン・ハー」は確か’72年のリヴァイヴァルで観たけど…例によって父のこれは観ておきなさいランチまたはディナーセットで。

M:大学入ってもまだお父様同伴の映画会が珍しくなかったんだからなあ。いくら父一人娘一人でも、ヤレヤレ…。

F:何よ、おかげでアナタと出逢うまで他ならぬこのワタシに妙な虫が付かなかったんでしょ、むしろ父に感謝してほしいくらいだわ…ねぇ、「ベン・ハー」の初公開の時の配給会社の担当の方の大奮闘エピソードがあるんでしょ?

M:そうそう、担当者は一年も前から息をするならベンと吸いハーと吐けと言われ、街に出れば見知らぬ人に

ベン・ハーって知ってますか?」と聞き

「はぁ、便秘のクスリですか、それ」とか「ミーハーの親戚ですか?」だなんてやりとりを繰り返していたのだとか。半年前に至りようやく

「あっ、今度来る新しい映画でしょう、超大作の♡」と言われてホッとしたと。

F:そういう地道な宣伝が大ヒットに結びつくのよね、やっぱり。

M:そして迎えた本邦プレミア試写会はこれもわれわれには懐かしい銀座のテアトル東京で昭和天皇香淳皇后をお迎えして行なわれ、休憩時間に別室でお茶を差し上げるためロビーにお出ましになった両陛下の前には何と意外な人物が。

F:…意外なってまさかの。

M:そう、そのまさかのチャールトン・ヘストンその人がプレミアに合わせて来日してたんです。今までスクリーンで様々な苦難を喫していたジュダ・ベン・ハーがその長身をりゅうとしたスーツ姿に包み、居並ぶ関係者の真ん中に突然いるものだから昭和天皇思わず近寄られ握手を求められたと。と、宣伝部員氏もその場面を見て思わず目頭を熱くしたと。

F:良いお話ね、昭和の時代ならではの。もう少し続けましょうね、ヘストンのお話。ほら伊丹十三さんが「ヨーロッパ退屈日記」でヘストンの良いひとぶりを書いてたわね、「北京の55日」のロケで見知った。

M:えぇ、長期ロケも終盤のロンドンで関係者がめいめい一杯やりながら雑談してて、たまたまそこに不在のヘストンの話題になりその乗馬靴の話になったとか。まだ売れない若い頃からヘストンはいずれロンドンで乗馬靴を買うのが奥さんと交わした夢でもあったと。

F:ハリウッドスターらしくなく、永年ずっと一緒でらしたのよね…最期まで添い遂げて。

Mやがてロンドンで乗馬靴をオーダー出来る立場となったヘストンはある日、ボンド・ストリートのいかにも格式高い店のショウウィンドウにある乗馬靴に惚れ込み、ドアを圧したと。

F:ボンド・ストリートって伊丹さんも書いてらしたけどフォーブール・サン・トノーレよりも素敵な街並みなのよね。別にはともかくどっちも一緒に歩いたことがないけど…今となってはだわ。

M:…何かまた蒸し返されそうだなあ、若き日のわが煮え切らなさを。ヘストンですけどいかにも英国人らしいスタッフに出迎えられ、購入の意志を伝えるとスタッフは靴の目的、どのような種類の馬に乗るかなどさんざん質問し、止めにヘストンの脚のレントゲンまで撮ったと。

F:慇懃無礼なんかでなく懇切丁寧なのね、さすが倫敦の老舗は。

M:ところがちょうど現れたヘストンに誰かが顛末を聞くと、半年も経って忘れた頃に届いた乗馬靴はそれはそれは素晴らしい出来栄えなんですけど、中に入ってる木型がどうしても取れない、どこかにネジでもあるんだろうがそれも見つからず。

F:せっかくの奥様ともどもの夢の乗馬靴なのに…それで?

M:ヘストンいわく、たぶんあれは乗馬靴ではなく素敵な木型保管用の皮ケースなんだろうと。だからそのまま仕舞ってあるよと。

F:…良いひとだったのねえ、スクリーンでの幾多の英雄なんかとは違って、カントリー・ジェントルマンとしての。

M:僕も昔小耳に挟んだ話で、ハリウッドの有力コラムニストの家でハウスボーイをしていた日本人の話なんですけど、ある日のホームパーティでごった返す中奮闘中のハウスボーイにヘストンが 

 「君、コークを持って来てくれ」

 混雑をかき分けキッチンから 

 「お待たせしました、コークです」と差し出すとヘストンスクリーンではおよそ見せない何とも情けない顔で

「私はもう帰るんでコートが欲しいんだよ!」 

 慌てて取って返しヘストンのコートを持って来たら今度はヘストンいつもの英雄的な笑顔で去って行ったと。 

(承前)

 

追記。Wikipediaによるとヘストンの生年は’23、24の二説あるようで、おそらくご本人が売れない若い頃にサバを読んだ名残りと考えるものといたします、悪しからず。