アンジャッシュ渡部建氏の生放送復帰に際して思うこと。

 以下に申し述べることは一切何の脚色もない100%の実話であることを最初に申し上げておくものであります。

 今から19年前、’05年6月のある日のこと。その前年に病を得、車椅子生活になったもののリハビリ病院から老人保健施設を経て、その間にバリアフリー化した自宅で当方が介護をしながら共に暮らしていた亡母を伴い散歩に出かけ、かねて馴染みの店でささやかな夕餉を取った帰途に都心は中央区明石町の高層オフィスビル1Fの多目的トイレに立ち寄ったのでした。未だ都心でも多目的トイレはさほど多くなく、常日頃から近隣のその所在地は頭に入れておりましたから。

 ところが折悪しく使用中の赤ランプが点灯しており、本人もそれほど切羽詰まっていないとのことなので他フロアにも回らずしばし待ちました。勿論同じような事情の方が使用しておられるものと思いましたからノックなどもせず。

 やがて数分後、電動ドアが静かに開き真っ先に現れたのはまさかの若い女性。待っている我々に一瞥をくれることもなくまさに脱兎のごとくその場を立ち去り、続いて姿を見せたのは同年輩のビジネスマン風男性。双方ともに健常者にしか見えませんでしたので、呆気にとられるばかりの母と当方でしたがとっさに我に返って蛮勇を奮い、無言で女性の後を追おうとする男性の襟首さらに胸ぐらをつかんで壁際に押し付けました。

 先方は観念したのかまるで抵抗するでもなく、また傍らの車椅子の母の姿を見てうなだれながら「スミマセン、スミマセン」と繰り返すのみ。いっそ携帯のカメラで顔写真を撮ってオフィスビルの各フロアにばらまいてやろうかなどと考えたのですがあいにく当方の携帯は未だカメラレスで。

 そのうち母が「止めなさい、もう良いわ!それよりお手洗いに早く連れて行って」と言うので手を離し、「二度とこんな真似をするなよ!」と吐き捨て男性を解放しました。

 なおも「スミマセン」を母に向かい繰り返しながら先方はそそくさとその場を後にしましたが、あの際のたとえようもない怒りと不愉快、さらには仮に警察沙汰になっても一発食らわせるべきだったとの後悔のみがずっと後まで残りました。帰宅後の母も「呆れた人達ねぇ」と呟くのみで多くは語りませんでしたが、無論不愉快を噛み締めていたことでしょう。

 その一件のあった日からちょうど十年の在宅シングル介護の末に母を見送り、その反動からか今度は自分自身の体調不良に悩まされ入退院を繰り返していた四年前、渡部建氏の醜聞が耳に飛び込んで来ました。あまりにも良く似た状況に驚きを禁じ得なかったのですがまた当時の当方とその時点の渡部氏の年齢が偶然にも同じ四十八歳。都心のビルの同じような場所で同年齢の一方は実母の下(しも)の世話を、はたまた一方は不倫相手と金銭をやりとりしつつ破廉恥(はれんち)な所業に及んでいたという、何とも皮肉かつ鋭い対比であることで…まあ世の中様々ですなあと苦笑するばかりでした。またあの日のひたすら詫びていた男性と渡部氏の顔が重なって見えもしたのですが。

 今後の渡部氏の芸能活動がいかなる展開を見せるのか、当方としては何の関心も持ちません…つまりはどうでもいいので。需要があれば露出の機会が増えるだけの至極当たり前な業界の道理なのでしょうから。が、以上のような経験から仮にTV画面で氏の姿を認めたら、当方は迷わずチャンネルを換えるかスイッチをオフにすることでしょう…ああいった経験をした身としては正直に申すならば二度とあの面(つら)なんぞ見たくもないので断じて許す気になれないというわけで。世間の判断などまるで知ったことではありませんが。

 また氏の仕出かした行為は単に氏の女性問題とか不貞にとどまるのではなく、多目的トイレを本当に必要としている全ての人に対する非礼であり冒瀆であったと。四年前の会見で、そのことへの真摯な反省と謝罪があったのか、またマスコミも強く追及したのかどうか。このことは強く申し添えたく思うものであります…。

(了)