「籠釣瓶花街酔醒」と「カルメン」、そして〜虚実のはざまで。

Masculin:今日、NHKEテレで「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」がありますね。

Féminin:あぁ、今年二月歌舞伎座での十八世勘三郎十三回忌追善のね。勘九郎さんと七之助さん兄弟が揃って初役で佐野次郎左衛門と八ツ橋を務めたのね…でも早いわねえ、勘三郎さんが亡くなって十二年。貴方の一年先輩でらしたのよね、小中高の。

M:本当に急ぎ足でしたね。向こうで先代にも「ちょっとぉ、早過ぎるよアンタ!」って叱られたことでしょう…。

F:貴方のお母様は先代の十七世中村屋さんと懇意にしてらしたんでしょ。

M:ええ、銀座の店にも良く買い物に見えたし、夜遅くに直電も…そうだ、その頃われわれが長電話してて中村屋さんからの電話が繋がらなくってお小言を頂戴したんですよ。それでわが家は外線をもう一本引いて…だから一本は中村屋ホットラインだったんです。

F:携帯なんかなかったあの頃は私たちもずいぶん長電話したものね…若かったんだわ。でもそれで中村屋さんにご迷惑をおかけしてたなんて。

M:後でうかがった話では、ご本人が直々にお電話されたのは森光子さんとウチの母だけだったそうで。でもお目にかかると「あぁ、いつも電話すまないね」と。良くお芝居にも声をかけていただいて。

F:「籠釣瓶」の佐野次郎左衛門は初世吉右衛門から何人もの役者さんが演じてらっしゃるけど、これからは中村屋さんのお家の芸になるのかしら。八ツ橋はまた女方の大きな役だし。ところでビゼーの「カルメン」ですけど、そう言えばかなり似たストーリーね、言われて見れば。ファム・ファタールに良いように振り回された男が、最後に堪忍袋の緒が切れて。

M:ええ、だいぶ前に歌舞伎とオペラ双方の大家でらした故・永竹由幸氏がおっしゃってたんですけど。まあどちらもその成り立ちから精査すると差異は少なくないものの、現在舞台にかかっている歌舞伎とオペラについてはどちらかが翻案ものとまでは言わずとも、何らかの影響を感じさせるほどかも。時系列では「籠釣瓶」の元になった吉原百人斬り事件が起きたのは享保年間(1716〜36)で初演は1888(明治21)年。「カルメン」のメリメの原作は1845年発表でビゼーのオペラは1875年初演です。

F:ウ~ン、メリメがスペインで「カルメン」の着想を得た頃までに、その百年以上前に日本で起きた凄惨な事件を知っていたとも思えないし、やっぱり偶然の符合なんでしょうね…そうだ、似てると言えば去年札幌で起きた猟奇的な事件は、どことなくR.シュトラウスサロメ」を思い出させたわねえ、登場人物の顔ぶれからして…娘とその両親、被害者の男性と。

M:実はあの事件の少し前に札幌では新国立劇場の「サロメ」の引っ越し公演があったんだとか…さて偶然なのか、公判を待ちたいですね。またつい数日前に都内で母親の運転する車の後部座席で、パワーウィンドウに女の子が首をはさまれて亡くなる悲惨な事故がありましたけど、馬ならぬクルマを駆って目的地に着いたら子供が息絶えていたなんてシューベルト「魔王」さながらで。ところで今月上旬に新宿のタワーマンションで刃傷沙汰があったでしょう。

F:…あぁ、五十代の男性が二十代の女性を…えっ、ちょっと、これも何だか「籠釣瓶」そっくりみたいじゃない?

M:そうなんですよ。まあやはり加害者と被害者双方の思惑が食い違ったことから起きた悲劇ではあるんだけど…虚構の世界で虚像を生きる女性と、それを実像として手繰り寄せようとした男性の間に生じた。

F:加害者が手放したスポーツカーとバイクが、妖刀村正だったのかしらね、愛着が強かったんでしょうし。それに栄之丞かエスカミーリョみたいな存在がいたのかしら…。

M:また一年前にもまさに吉原で類似の事件があったんですよね。それから’79年に大阪で起きた銀行での人質籠城事件の直後、某民放の刑事ドラマが似たような設定だったんで放送延期になり、’97年にも神戸のあの衝撃的な事件の後でNHKが歌舞伎の演目を差し替えたことがありましたよね。さて今夜の「籠釣瓶は良く斬れる」いや、無事オンエア出来るのかなぁ…「ブルルルルッ!」。

F:もし取り止めたら「花魁、そりゃあちっと袖なかろうて…」ってものじゃないかしら…。

(Fin)