シドニー・ルメット生誕百年〜名作「十二人の怒れる男」を中心に。

Masculin:映画人のアニヴァーサリーが続きますけど。

Féminin:うん、でもシドニー・ルメットってまずデビュー作の「十二人の怒れる男」だけど、その後も「質屋」「セルピコ」「ネットワーク」とか秀作を沢山。

M:そう、ところで映画館にご一緒したのは何だったか覚えてます?

F:え~と、まず「オリエント急行殺人事件」よね…あら、もしかしたら初めて二人で一緒に観た映画じゃなかったかしら。私は大学4年でアナタは浪人中。息抜きにお付き合いしたのよね。

M:正解です。さすがの美魔女様、記憶力も確かですね。それから?

F:ウ~ン駄目、降参。

M:次はポール・ニューマンの「評決」でした。「十二人の〜」以来の法廷もので。でもそこまでかなぁ。それ以降はさすがに作品にバラつきが。まあどんな名匠もある程度の年齢以降はハズレが増えるのも共通で。

F:ジョン・カサヴェテス「グロリア」のリメイクを受けるなんてちょっと考えられなかったわ。で、やっぱり「十二人の怒れる男」からね。初めて観たのはいつ?

M:中1だった’69年秋、例によって初オンエアの淀川長治さんの「日曜洋画劇場」でしたね。まだ知り合う前だけど同じでしょ?

F:そう、例によって父がこれは嫁入り前に観ておくべきだぞって。ほら、同じ年に「アラビアのロレンス」のリヴァイヴァルに今はもうないテアトル東京に同じセリフで連れてかれて。で、両方を観てしみじみ考えたの。アラビアの広大な砂漠の70ミリ大画面とNYの狭い陪審員室のモノクロで対照的だけど、女優さんが一人もいないって共通点があるのねって。

M:そう言えばその通りで。映画史的な名作で女優の姿が皆無ってこの二本くらいでしょうね。一方はそれだけじゃないけど大スペクタクル、もう一方は密室劇と正反対だけど映画的な興趣満載ですからね。僕は初オンエアで観た翌日、担任が教室で昨日の映画観たかねと聞いたらハイ観ましたと何人かが手を上げ、それに応じて担任が大まかなプロットを話し

 「いやぁ無罪の評決がまとまり、裁判所の外に出たヘンリー・フォンダの満足気な表情が良かったねぇ」などと言うのに共感してる同級生をひそかに馬鹿にしてましたね。それ以前にアメリカの陪審制それ自体に疑問は持たないのかって…短時間で白黒決定的な評決を下すという。勿論全員一致を旨としてるんだけど覆ることはないんだから。

F:ウ~ン、確かに単純なカタルシスを提供するだけの作品じゃあないわよね。その先生も悪いひとじゃないんでしょうけど少し脳天気な…。また誰かさんはナマイキな中学生で。

M:ずいぶん前に比較的若くして亡くなったんですけどねその先生は…確かクモ膜下出血で。

F:でも中1でそういう問題意識を持ってたのね、アナタ。知り合った頃はそうでもなかったけど…いかにも芸術派だったわ。

M:政治の季節を過ぎてもう美の季節へと移っていたんですよ。そしてお姉様という生涯のミューズに出逢ったわけで。

F:またそれを…ずいぶん早くに幼い政治的挫折を味わったのかしらね。それはともかくこの映画ほど静かな迫力を感じさせる作品て少ないんじゃないかしら。ストレートプレイで上演もされたからそれが一見映画的じゃないものに思えるけど、実は映画ならではの魅力だって気付くのにそれほど時間はかからないと思うわ。

M:…いやぁさすがにお姉様。でもこれのリメイクも…正確に言うならこれもTVドラマのリメイクですけど…複数あって、さらにはオマージュだかパロディだか良く分からない筒井康隆の「十二人の浮かれる男」や三谷幸喜の「十二人の優しい日本人」なんてのもあって。

F:そういうのが出て来るのも、この国に陪審制が無いからじゃないかしら。そりゃあ戦前の一時期はあったし、今は何だか中途半端な裁判員制度があるけど、所詮は他人事よね。だから筒井さんのも三谷さんのも陪審員が寄ってたかって無罪と思われた被告を有罪にしちゃうんでしょう。陪審制の実際に存在する国でそれに真っ向から弓を引いたこの作品とは重さが比較にもならないわ。

(承前)