総理大臣の引き際。

Féminin:ねぇ、記憶にある最初の総理大臣てどなた?

Masculin:えぇ、池田勇人氏ですね。’64年東京五輪の成功を見届けて退陣したから…僕は小学二年で。

F:ふ~ん、やっぱりませてたのね。三つ上の私でもギリギリ池田さんを覚えてるくらいなのに。その前の岸信介さんでもお名前くらいだわ。

M:…いやぁ実はウチの母が仕事上でそれ以前に池田氏と面識があったものですから。

F:あぁ、そうでらしたのね。お座敷で…。

M:それでほんの子供の頃から家でも祖母と母が総理大臣の噂話をしてたんで、だから何となく親しみを覚えてましたね…「ワタクシはウソを申しません!」とか。

F:私はやっぱり小学生の頃にまだ総理就任前の池田さんが「貧乏人は麦を食え」とかひどい失言をしたんだよって父がしょうがないひとだなあと苦笑してたのは覚えてるけど。

M:その昔、お座敷ではウチの母を含めて四人組と呼ばれてたらしいんですけど、池田氏はいつもその四人が顔を揃えてないとご機嫌が悪かったとかで。

F:その池田さんが退陣したのは今はもう使わない言葉だけど「前がん状態」での療養が理由で、それで後を請けた佐藤栄作さんは長期政権を築き、沖縄返還を成し遂げて勇退したんだけど…。

M:あの退陣会見は実に異様でしたね。「TVカメラは前に。新聞はダメだ」と言い放ち所払いまでして…佐藤氏の必要以上に歯を見せた空虚な笑顔ばかり印象的で。

F:続く田中角榮さんは金脈問題で意外なほど早い退陣だったわね。就任の時は「今太閤」だなんて盛んに持ち上げたマスコミの手のひら返しの鮮やかだったこと。会見の時は顔面神経麻痺でお顔がヒドく曲がってたのを思い出すわ。その後ロッキード事件で逮捕されたけど長く闇将軍として暗躍して。

M:刑事被告人がこの国の事実上の最高権力者だなんて異常事態が数年続いたんですものね。次の三木武夫氏はクリーンイメージで担がれたのに日を経ずに三木おろしに遭い、記憶にあるのは佐藤氏の国民葬会場の日本武道館前で右翼に殴打されたことのみ。続く福田赳夫氏は国民栄誉賞をでっち上げても不人気を回復できず「天の声にも変な声がある」の捨て台詞を残してもともと禅譲密約説のあった大平正芳氏に。かくて「三角大福」揃い踏みと。

F:ねぇ、大平さんて貴方のお母様の後輩の方の…だったんですって。昔聞いたわね。

M:…あぁ話しましたっけね。多分総理就任前だったんでしょうけど…そのひとはそれ以前にも別の派閥の領袖とね。そちらは総理の座を目前に斃れ、大平氏は在任中の突然の病でしたから…大平氏の没後だったと思うけど一度行きつけの銀座の美容院にいたら髪を下ろしたぞろっとした姿で入って来て。多分タクシー降りてそのままエレベーターで上がって来たんでしょうけど、美容師さんが「ワッ、おバケ!」と小声で。

F:ゾッとするくらいキレイなおバケだったんでしょうねぇ…やっぱり一種のファム・ファタルだったのかしらその方…もうひとりいらしたんでしょ、大物食いが。

M:またはしたないなぁ、最近のお姉様は…えぇ、そちらは政治家でなく文化人ばかりで’60年代から人気を博した兄弟俳優のお父上の長唄の三味線方から直木賞作家に有名建築家と…僕は勝手に日本のアルマ・マーラーて呼んでたんですけどね。その建築家氏が他界した後にその方の遺した京都の家で別の俳優と暮らしていたけど先年見送って…どうしているかなあ、ふたりとも。

F:小さい頃からそんな方たちばっかり近くで見てたから、アナタもすっかり目が肥えておマセになったのね、きっと。

M:まあそのふたりが初恋のひとと認じていますからね。でも足して二で割りエレガンスをまとわせた存在こそがお姉様だと。

F:あらなにを今さら。半世紀前にそんなことを言ってくれたかしら…話を戻すと、大平さんの急逝の後に就任した鈴木善幸さんは闇将軍の傀儡を嫌って二期目を受けず、中曽根康弘さんがついに。

M:中曽根大勲位は二期目の非主流派の動きも封じて、おそらく戦後の総理で初めて「勇退」の名に相応しい引き際でしたね。後継指名もして。その後は疑獄やら女性問題やらでみっともないのばかりで。

F:勇退らしかったのは小泉純一郎さんくらいね。また民主党政権の人たちはもっとみっともなかったし。今の総理がどんな引き際を迎えるのか、まあそれほど先のことじゃなさそうだから別に愉しみでもないけど眺めていましょうね…。

(Fin)