ヤナーチェク生誕170年〜「利口な女狐の物語」を中心に。

Féminin:今日はレオシュ・ヤナーチェクのお誕生日ですって。

Masculin:つい先月、カタラーニも同じ生誕170年だったんですよね。ところが「ラ・ワリー」以外に取り立てて作品もないから映画「ディーバ」の話題に終始しちゃって。

F:その点ヤナーチェクはいろいろ語るべき作品が少なくないわね。まずは「利口な女狐の物語」でしょう、やっぱり…もちろん覚えてるでしょ、超絶記憶マシーンのアナタですから。

M:何を今さら…あれは’78年の11月30日、二期会による日生劇場での初演でした。三回公演の三日目で。正確に言うと前年に大阪支部が取り上げてたんで東京初演だったんですけど。

F:その少し前に貴方からボフミル・グレゴール指揮のプラハ国立歌劇場のLP(スプラフォン)を借りて、私もすっかり気に入ったの。吉田秀和先生が素敵な解説を書いてらして。一緒に聴いてた父もほうこれは良いなあ、シンフォニエッタや「消えた男の日記」とはまた一味違うよ、チェコ語はさっぱり判らんがって。

M:あの頃はヤナーチェクの特にオペラはまるで紹介されてませんでしたからね、上演はもちろんレコードも。僕は最初からこれは「ペレアスとメリザンド」「ヴォツェック」と並ぶ二十世紀オペラの傑作だと確信してたんだけど。だからお誘いしたんですよ。

F:うん、そしたら父も観たいなあって言うんで、邪魔しないでって断っちゃったの…ちょっと可哀想だったわね。未来のマスオさんと一緒に観たかったのかも…いっそ連れてって帝国ホテルででもおごらせれば良かったかしら。

M:お父様を財布代わりとしか思ってなかったんだからなあ、ひどい箱入り娘で…でももう知り合って五年だから箱入りでもなかったか。ところで「女狐」も今年初演100年なんですよね。あの時は斉藤昌子平野忠彦その他も二期会の精鋭で若杉弘指揮の東京都響がピットに。

F:ただ日本語訳詞だったのは時代で仕方なかったんでしょうね。原語のチェコ語じゃあ歌い手の皆さんの負担もだけど聴き手の私たちもちんぷんかんぷんだし。でも演奏は立派だったわ。特に去年亡くなった斉藤さんの女狐ビストロウシュカに十年前に亡くなった平野さんの森番は。若杉さんの指揮も的確だったし。特に覚えてるのは第一幕で囚われの身のビストロウシュカがさめざめと涙にくれているところを月明かりが照らすと若い娘のように見えて思わず森番が狼狽える場面だったわ。

M:こないだ黒岩英臣先生の話をしたでしょ、小6の時に音楽を教わった。あの初演時に行商人ハラシュタを歌ったバスの鈴木義弘氏は小4〜5年の音楽の先生だったんですよ。

F:そうそう、当日のプログラムの写真を見てビックリしてたわね、貴方。すごい方にばかり教わって。ただ演出には何か一言言いたそうだったわね。

M:そうですね、その後のいくつもの舞台でも同じ不満が拭えないんだけど、女狐ビストロウシュカをはじめ多くの登場人物?が動物であるわけで、しかも人間臭さをたっぷり持ってるわけだから、あの着ぐるみ姿はどうもねぇ。それで思い浮かんだのはアニメーション化で。

F:ちょうど国内で長編アニメが沢山創られてた時期よね…そうだ、その少し前にすぐ近くの有楽座で市川崑監督の「火の鳥」を一緒に観なかった?

M:ハハア思い出しましたね。まああの「火の鳥」は豪華スタッフとキャストによる「黎明編」の極めて忠実な映画化だったのに、何故か映画館を後にする全ての観客の頭上に疑問符が浮かんでしまう不思議な出来だったんですけど、あんな代物にかまけるくらいなら巨匠手塚治虫にこの「女狐」のアニメ化を手がけて欲しいと思ったんですよ。また同じ頃、巨匠は後に「森の伝説」となったチャイコフスキーの4番をバックに自然の摂理をテーマにした作品を企画していたんで。何だったら不肖わたくしがプロデューサーを買って出ようかと。

F:ハイハイ、ずっと後で確かイギリスで制作されたアニメがなかったかしら、ケント・ナガノさんの指揮で。

M:えぇ、だけど英語版でしかも短縮版。絵柄も好みはあるけど戦前のアニメみたいで。まあヤナーチェクが着想を得た新聞の連載漫画には近いかもですけど、とても手塚作品とは比較にも。またこれのアニメ化の可能性についてはやはり名バリトンで東京藝大音楽部長もなさった原田茂生氏も言及されていたんですけどねぇ。まあ当時の一学生の夢物語でしかなかったけど。

F:幾つも生まれては消え去ったアナタの果敢ない夢のひとつだったわけね。それから’97年の12月に秋山和慶さん指揮の東京交響楽団で原語による日本初演があったわね。これも一緒に出かけたでしょ。

M:そうでしたね。サントリーホールセミステージ形式でしたけど、主要な歌手は母国語の人を揃えて申し分なかったですね。指揮もオケも同様だったけど、やっぱりステージがなくもがなで…あれなら普通にコンサート形式でも。

F:ほら、ちょうどサントリーホールが出来た頃からだと思うけど、セミステージやホールオペラって上演の形態が増えたじゃない。様々の考えがあったんでしょうけど、何だか中途半端な出来が多かったみたいね。

M:サントリーホールのアリーナ式から発想したんでしょうけど、通常の上演よりはコストがかからないし、演奏会形式よりは豪華って狙いだったのにおっしゃるとおり中途半端なものが少なくなかったみたいで。

F:まだまだ語るべき作品は沢山あるけど、この暑さで早くもちょっと夏バテ気味だからこの辺で失礼したら?

M:そうですね、それじゃ…。

(承前)