黒岩英臣先生のこと。

Masculin:というわけで、昨晩オペラシティコンサートホールで東京での引退コンサートを指揮されたんですって、ベートーヴェン第九で。

Féminin:…黒岩さんてお名前は存じ上げてるけど実演は一度も。貴方は?

M:いや、実は僕も同じなんです。まあ九州交響楽団や山形交響楽団など地方のオケに長くいらしたから…あとは例によって僕の出不精のせいで。

F:出不精はお互い様だわ。それでもあんなに沢山コンサートは一緒に出かけたのにね…それじゃどうして先生って?

M:良くぞ聞いて下さいました。そもそも小六だった’68年のこと、若い修道士の方が新任の音楽教師としてわが母校に赴任してらしたんですよ。

F:まだ知り合う五年ほど前ね…もうカワイイよりもナマイキだったんでしょうね。

M:それはともかく、修道士のクレリックカラーで眼鏡をかけたいかにも生真面目な先生だったんですけど、それが誰あろう黒岩先生だったんですよ。で、一年経って卒業間近になり、何故かワタクシめが音楽の優秀賞を受けることに。

F:ふ~ん、でも小6の音楽の授業だったらリコーダーやソルフェージュくらいよね。そういうのは優秀だったの。

M:まあ真面目に全授業を聞いてましたからね、ひそかに卒業生総代を狙ってたんだから。

F:そうね、お母様からも聞いたわ。でも別のクラスにもう一人オールラウンダーの子がいて駄目だったとか。

M:そういうことで。ところが国語か算数か何かの主要科目で優秀賞を取れるだろうと思ってたら、卒業式間近のある日担任に呼ばれて「スマン、他の科目はみんな埋まってしまったんだ。音楽で我慢してくれ」って。

F:我慢してくれってずいぶんねぇ。フランス語も含めて全部優秀だったんでしょ。平均点が良かったのが裏目だったのかしら。

M:各科目二人ずつでしたからね、スペシャリストの方が有利だったのかも。まあ担任とは生意気だけど気脈を通じた間柄でしたからぶっちゃけて教えてくれて、聞けば音楽は一人小さい頃からヴァイオリンをやってて絶対音感のある奴がいて当確だったんですけど、二人目が見当たらなかったらしく僕にお鉢が回って来たんですと。

F:何だか不満たらたらだったのね。まあでもその黒岩先生は授業だけでなく、アナタの音楽的な感性を見抜いてらしたのかもね。その後こんなに長くクラシックにどっぷり漬かってるんだから。

M:まあねぇ、ところが’76年頃だったと思うんですけど、既にクラシック好きだったから「題名のない音楽会」ともども毎週欠かさなかったTBSの「オーケストラがやって来た」を観てビックリ。「修道院から指揮台に還って来た期待の新鋭指揮者」の触れ込みで画面一杯に指揮棒を振る黒岩先生の姿が。

F:ふ~ん、修道士でミッションスクールの教壇に立つのは問題なさそうだけど指揮台にはね。いろいろお考えになって還俗されたんでしょうね。

M:またその番組でも紹介されたんですけど、そもそも桐朋学園の齋藤秀雄門下で、将来を嘱望されていたのを師の反対を振り切って修道院に入ったんだとか。

F:齋藤秀雄さんが亡くなったのは’74年だから、やっぱりお考えの末にまた音楽の道に戻ってらしたのね、きっと。

M:まあだから番組観てて驚きましたね。小学生の頃は単に若い修道士の音楽の先生としか思ってなく記憶の彼方に消えかけてたけど、その頃までには僕なんかでも小澤征爾氏を筆頭に桐朋学園の齋藤秀雄門下って盛名はとうに聞き及んでいましたから…そういうひとだったのかって。

F:…ってことは待って。その黒岩先生に教わったアナタは齋藤秀雄先生の孫弟子ってことになるんじゃない?

M:へへぇ、そうなんですよ。まあ指揮法やピアノを教わったわけじゃないけど、一応優秀賞も頂戴したんだからそう自称しても良いかなと。

F:ふ~ん、おみそれいたしましたわ。

M:またついでですけど、齋藤先生は生まれた街も同じで小中の先輩でもいらっしゃるんですよ。何だか奇妙な縁でしょう?

F:ふ~ん、まあ確かにね。でも黒岩先生の指揮に接する機会が一度もなかったのは残念だけど、末永くお元気でいらっしゃることを願っておりますわ…。

(Fin)