吉田秀和氏のささやかな思い出。

Masculin:というわけで、今日は吉田秀和先生のご命日です。つい4日前のフィッシャー=ディースカウと同じ年で没後12年…早いもので。

Féminin:吉田…いえ秀和先生のおかげで目を拓かれた作品て、音楽に限らずとも一体どれだけあるのかしら。貴方も同じでしょ?

M:無論そうです。白水社版全集の刊行が始まったのが僕の高校の頃でちょうどクラシックを積極的に聞き始めた時期だったから、まさに水先案内人となってくだましたね。また懇意にしてた図書館担当の先生がやはりクラシック好きで、予算で全集を買ってくれたからいち早く読めて。

F:私も父が秀和先生以前の戦前から執筆活動をしてた評論家の皆さんには批判的だったんだけど、この人は信頼に値するぞって太鼓判を押すんで…もしかしたら秀和先生は文筆活動をスタートされたのが戦後だったから戦前からの方々と違って変節みたいなことはなかったし、その点が父みたいな戦中派には信頼が置けたのかしらね。

M:どの分野でも戦前戦後で手のひらを返した人は少なくなかったみたいですしね…ほら、演奏会場では奥様のバルバラさんとご一緒のところをずいぶんお見かけしたけどあれはもう半世紀近く前かなぁ、ご一緒してて銀座の泰明小学校の前のみゆき通りを歩いてたら秀和先生にバッタリ。

F:そうだったわね、あれはコリドー街の輸入盤店で貴方が何かLPを買った後、お茶でも飲みましょって歩いてて。そしたら秀和先生が前からお一人で歩いてらして。

M:目が合っちゃって一瞬驚いてらしたけど、僕がレコード袋を持ってたからきっと音楽好きの青年だろう、だなんて思ってくださったかなあ…。

F:他にも妙な場所でお会いしたって言ってなかった?

M:そうそう、その十年くらい後、ずっと通ってた銀座のN美容室で、男性客用の個室で髪をカットしてもらってたら電話を受けたそこの先生が僕の担当のひとに

 「ねぇ、鎌倉の吉田様…バルバラさんのご主人、明日お見えになるからよろしく」と言い置きに。

F:(笑)個人情報だだ漏れね。それが普通の時代だったんでしょうけど。

M:昭和の終わりに近づいた頃でしたね。それで思わず

 「鎌倉のって、吉田秀和先生ですか?」と訊くと 

 「えぇ、そう…あぁ○○さん音楽お好きなのよね。奥様はいつもでご主人も時々お見えになるんですよ」と。だから一日違いでお会いはしなかったんですけど。

F:美容室で噂になってるなんて、秀和先生もまさかご存知なかったでしょうねえ(笑)。

M:でも思わず聞いちゃいましたよ、あの髪、どうするのって(笑)。

F:うん、あんまりまめにお手入れしてらっしゃるようでもなかったわねぇ…。

M:でも真面目な話、初期の「主題と変奏」、「街、雲、それから音楽」から「一枚のレコード」、「世界の指揮者」そしてライフワークだった「音楽展望」へと、我々ずっと秀和先生の足跡を追ってきたようなもので。

(承前)