本日は卵料理の日。

正統的関西風出汁巻き玉子(L玉3個)。

 

Féminin:…ですって。

Masculin:へぇ、いわれは何です?

F:聞いたけど忘れちゃった。まあどうせその手の例にもれず日付の語呂合わせか何かのこじつけなんでしょ。

M:その昔、平賀源内が知り合いの鰻屋に頼まれて「本日土用丑の日」と墨書したら、そいつぁ何かいわれがあるんだろうと早合点したそそっかしい江戸っ子で大繁盛し、以来今日に至るまでの隆盛となったそうだから似た狙いなのかなあ、業界の。

F:いわれはともかく、せっかくだからお得意の卵料理のあれこれを披露してくださいません?

M:披露するって言っても僕の作るのなんかごくありきたりの基本的なものばかりで、妙にひねったつもりの独りよがりのものなんか…あれ、そう言えば意外にぶきっちょでらして、ウフ・ポシェ=ポーチドエッグも上手く作れないんでしたよね。

F:…また妙なこと覚えてるんだから。えぇ、良く父にも笑われたわ。ママは手先が器用だったのになあって。中学でピアノを諦めたのもそれでだったんだけど。

M:そうそう、あれは下谷のふぐ料理にびきへ初めてご一緒した時、ふぐちりを炊くところから僕が鍋奉行を買って出てたけど、雑炊の段になって僕が片手で卵を素早くパパンと割ったら憧れと尊敬の眼差しで(笑)。あんな眼でお姉様に見られたのはあれが最初で最後かなぁ…。

F:うん、いつも家で苦労してて、そばにいると父が割ってくれてたの。だからあの時は父の言うように貴方をマスオさんよりもますらお派出夫としてわが家に迎えたくなったわ。

M:また古い話だなぁ…でも楚々としたお姉様に似つかわしいいかにも繊細な白魚のようにほっそりとした指先なのに不器用ってギャップも面白かったけど。ほら、初めてのあの時も包装を開けようとして中身も破いちゃって…緊張してたのかな。

F:…ん〜もう、そんな大昔のヘンなお話は結構よ…どうしてそうとんでもない記憶力なのかしらアナタって。それより卵料理をお願い。

M:ハイハイ、それじゃあまず基本の卵の割り方から。そう言えば誰かが処女って語感は卵を割ったら黄身に赤い血がポツンと付いてるのに似てるんだと言ってたなぁ…テーブルや食器の角に打ちつけると殻が砕け散りやすいんで、平らな面で割るか卵同士をぶつけるのがベターだって意外に知られてないみたいで。

F:アメリカじゃあサルモネラ菌に神経質だから、白身と黄身を分けるにも割った殻でなくセパレーターを使うのが当たり前みたいね。

M:その点わが国は安心ですね、当たり前に玉子かけご飯が食べられるんだから。その玉子かけご飯ですけど、確か溶いた全卵をざぶりとご飯にかけるのが苦手っておっしゃってたでしょう。

F:うん、普通に溶いてお醤油で味つけしてかけるとお茶碗軽く一膳のご飯には多すぎる感じだし生の白身のヌルっとした舌触りも苦手なの。だから小さい頃は母が黄身だけご飯にのせてくれてほんの少しお醤油を垂らして、余った白身は父が一呑みにしてくれたわ…勿体ない、低コレステロールで良質の蛋白質なんだぞって

M:だから白身も無駄なく食べるには目玉焼きご飯が最良ですね。その目玉焼きにもいろんなエピソードがあって、有名なのは伝説的大ヴァイオリニストのジャック・ティボーがリヨン近郊ヴィエンヌの名店ピラミッドで客席に挨拶に現れたこれまた伝説的大シェフのフェルナン・ポワン

 「一番難しい料理は何かね?」と訊いたら、しばし沈思黙考したポワンは

 「目玉焼き(Oeuf sur le plat)ですな」と真顔で答えてティボーを仰天させたって話で。その後両巨匠で目玉焼き談義に花が咲いたと。

F:ヴァイオリニストがキラキラ星変奏曲が一番難しいって言うようなものかしら…単純なものほど難しいって。これも三ツ星コート・ドールのシェフだったベルナール・ロワゾーが完璧な目玉焼きを考案したんですってね。黄身と白身を分けて先にフライパンで白身だけ丁寧に火を通して、その後中央に黄身をのせてオーヴンでじんわり温めるって。

M:「君をのせて」って「天空の城ラピュタ」ですね。あれでパズーが目玉焼きをパンにのせてシータと半分こするのも旨そうだなぁ…うら若いふたりで一切れのパンと一個の卵だからこそで。そうだ、伊丹十三氏が「目玉焼の正しい食べ方」って書いてたでしょう。

F:うん、白身から食べて黄身を最後に食べるのは子供がおいしいものを一番最後に食べるみたいだとか、反対においしいからと最初に口を近づけて黄身を吸い取るなんて人前では許されないとか、黄身を壊しソースにして白身を食べるのもお皿が汚れて見苦しいとか四苦八苦するあれね。いかにも伊丹さんらしい文章だったわ。

M:あそこで最終的に伊丹氏は非常にインテリ臭い食べ方として

「ネ、こうやってさ、白身から食べる人がいるけど、あれはやだねぇ。こんなふうに黄身だけ残しちゃってさ、それを大事そうに最後に食べるんでやがんの。ほら、こんな具合い!」(「女たちよ!」)って言いながら食すって解決案を示してましたけどそれを大昔、高校の修学旅行の帰途の食堂車で実演したんです。同級生はみんな呆気にとられてました。

F:ちょうど知り合った頃かしら…同級生もそうやって煙に巻いてたのね。目玉焼きの次はゆで卵だけど、森茉莉さんのエッセイでお父様の森鷗外が朝食の半熟卵を象牙のお箸の角でコツコツと叩いて奇麗に殻を割るその情景の描写が印象的で…そう、タイトルも「卵料理」だったわ。

M:その一方で荻昌弘氏が京都南禅寺畔瓢亭のいわゆる瓢亭卵を奥様とふたりして毎朝一つずつ卵を潰し、何週間もかけてようやく真似出来たって話はいささか苦笑もので。

F:あの半熟卵が二つ切りで立ってるのでしょ、あそこの八寸にある。ぶきっちょのワタシが言うのもあれですけど、そんなに難しいものなの?

M:荻氏は真似できるものならやってみなさいと80℃で転がしながら6分間ゆでて冷水に取り水中で殻を剥く、ただしそこで潰れやすいからとコツを公開してましたけど、どうということもなく初手から成功しましたけどね、ワタクシは。後はゆで玉子の両端を切り落として平らにし、真ん中から切り分け包丁と逆の指先の両方で立てる…それだけですけど。

F:ハイハイ、手先だけは器用だったんだから…女心のあしらいは至って不器用だったくせに…そう言えば向田邦子さんに「ゆでたまご」って珠玉のようなエッセイがあったわね。少し身体が不自由で性格も悪くみんなに疎んじられていて、暮らし向きも楽じゃなさそうな同級生のお母さんが遠足の朝の出発前に暖かくて持ち重りのする沢山のゆでたまごの包みを「これみんなで」と級長の向田さんに託し、他の父兄から少し離れた所でいつまでも見送ってるその姿…半熟じゃない固ゆでの煮抜き卵を食べると決まって思い出し、目頭が熱くなるわ…特にゆで過ぎた時に漂うかすかな硫黄臭さとともにね。

M:あのエッセイは後段の運動会での出来事を含め、最後に残るそのわずかな苦い後味ゆえに名作なんでしょうね…単純に心温まるいい話というだけでなく…それは向田邦子の全作品に通じる持ち味かと。次はお得意のポーチドエッグのおさらいを。

F:またそんなイジワルを…でも一応お願い。

M:直径15cmの雪平鍋に湯を沸かして塩と酢を加え、沸騰したらとろ火に落とし対流が見えるほどにしてヘラで渦を作り、これが大事ですけど新鮮な卵をボウルに割り入れてから渦の中心に静かに落とします。鮮度落ちで濃厚卵白と水様卵白の区別がなくなったような卵じゃあお姉様ならずともキレイなポーチドエッグは作れません。卵白をまとめつつ鍋底にくっつかないようにヘラで静かにかき回して3分半。穴開きレードルで冷水に取る…児戯に等しいでしょ?

F:ハイハイ、アナタの説明聞いてると簡単なのにね。新鮮な卵で黄身と白身が泣き別れしないように精進いたしますわ。次はオムレツね。専用のフライパンを持ってるんでしょ。

M:えぇ、昔から家にあった18cmの鉄のフライパンと今はT-falの20cmも。鉄のはプレーンオムレツ専用、T-falはフリッタータやトルティージャにも使います。フリッタータはズッキーニやパプリカが半端に残った時にこそで、トルティージャはじゃがいも一個に対しても十分な厚さに焼くには卵がかなり必要だから。

F:だいぶ前に目の前でプレーンオムレツを作ってもらったらあっという間の早業でビックリしたわ。それでいて完璧な紡錘形でしかも中はトロリとしていて。お母様がおっしゃってたの…子供の頃から自分で色々作れたんだからフランス語も習ってたことだし、早くに決心して向こうででも修業してたら今頃は名シェフだったかしらねって…。

M:仕事として不特定多数に料理を提供する気にはどうしてもなれなかったんですよ。それに若い頃は石原裕次郎のセリフじゃないけど料理人は男子一生の仕事に非ずなんて気負ってましたし。腕をふるうのは自分自身と限られたひとだけのためにとしか…母とそれからお姉様とね。

F:本音は自分だけが美味しい思いをしたかったのよね…これもお母様が

 「ひどいのよ、美味しいわって褒めてもオレが食べたかったから拵えたんで、それをおすそ分けしただけだよだなんて憎まれ口を」って…本心じゃあなかったんでしょうけど。

M:…さあどうだったんでしょうね。でも辻静雄氏が言ってらしたけど、自校の新入学生に最初の講義で卵を取り出し

 「この卵はそこのスーパーで1個30円だけど、これを3個使ってキレイにオムレツを焼けば1,000円で売れるんだよ」と話すと皆目の色が変わるって。

F:プロの料理人を目指すって強い意志をそこで若い子たちに植えつけたんでしょうね、辻校長は。独学でオムレツをキレイに焼けても、お坊ちゃまで予算も考えず好き勝手にお料理してたアナタとはやっぱり違ったんだわ。これもお母様が言ってらしたけどいっつも高級スーパーやデパ地下で値段も見ずに買い物してくるのよって。

M:そんなに色々僕の悪口を吹き込んでたんですか…やっぱり一緒にさせる気はなかったのかなぁ。滅多に若い女性はほめなかったのがお姉様のことは「素敵な人ねぇ、綺麗だし品も良くって」と手放しだったのに…あの方のもとに走る前は勿論だけどご実家に戻られた後もね。「お古でもあの人なら文句ないわよ」って。

F:…私もお母様にお会いするたび、凛とした素敵な方だなぁって思ってたんですもの。ウチの父もお酒の相手を含めて色々話の合いそうなマスオさんは大歓迎だったけど、いざ一緒になったらアナタのお酒代でやりくりが大変だぞって心配してたわ。どっちの親の気持ちも似たようなものだったのかしらね…アンビヴァレントな。お互いひとり親にひとりっ子だったから。

M:…次は玉子焼ですけど、関東風のしっかり焼き色を付けたのはもう室町砂場のに勝るものはないですね。やっぱり酒の肴としても考えられてるから必要以上に甘過ぎず、胡麻油の香りに出汁とかえしの旨味たっぷりで。

F:その通りね。ウチの父もあそこの玉子焼やあさりで菊正宗のお燗を愉しむのが大好きだったし。築地場外のお店のはおしなべて日持ちを考えてなのか甘味が強すぎだわ。砂場には到底敵わないから、焼き色を付けない関西風の出汁巻しか作らないのよね、貴方は。

M:えぇ、それも今はない虎ノ門の関西割烹つる壽の大将から直々に教わったんで。大将のお父上の清元志壽太夫氏のご長寿とあの天下の奇声の秘訣は、その大将手ずからで出来たて熱々の出汁巻と辛味大根のじゃこおろしにコニャックのビール割って贅沢なバクダンの三点セットだったんですよ。

F:つる壽さんも本当に良いお店だったわ。お料理は勿論だけど女将さんはじめ皆さんのおもてなしも。ねぇ、一応出汁巻きも教えて。

M:卵L玉4個に鰹と昆布の一番出汁180cc、味つけは天然塩と本味醂で薄口醤油をほんの香り付けに。合わせたら一度ザルで濾して。焼く方は…まあ焼いて下さい、油の馴染んだ玉子焼器で。たっぷりの染めおろしを添えて。

F:またイジワルね。それだけお出汁が多いととても私には無理だわ…あ、ほら。随分前だけどNHKのお昼の生番組でつきぢTのご主人が出汁巻を焼いてて落っことしちゃったことが。

M:あぁ、僕も観てました。母がもう車椅子だった頃だから二十年近く前ですねぇ…返そうとした瞬間鮮やかな場外ホームランで、悪いけど母と大笑いしました。全国ネットの生放送だったから日本中に中継されてお気の毒でしたね。あれからバッタリTVで観なくなって数年前亡くなったとか…そうだ、4年前に入院した時、退院前にリハビリ室で若い女性のOT(作業療法士)にテフロン加工の玉子焼器でタネ代わりにガーゼのハンカチを入れて玉子焼の返し方を教えたら感心されたなあ…いや、手の動きは心配ないですねって。

F:入院してもそんなことで点数稼いでたのね。お寿司屋さんの玉子焼は?やっぱり自分のお店でカステラみたいにふっくら焼いたのじゃないと違う感じよね。

M:そうですね。あれは出汁を使わずナマミ(魚介のすり身)と山芋に味醂と酒で、返さずに玉子焼器でお店によっては上下から熱を加えて焼き上げるんで。どこのお寿司屋も工夫を凝らしてるけど、やっぱり小さい頃から食べてたこれも今はない銀座の奈可田のが一番だったなぁ。つまるところ卵料理って郷愁の味なんですねえ…。

(Fin)