カラヤン指揮「浄夜」〜シェーンベルク生誕150年に。

Féminin:あけましておめでとうございます♡。

Masculin:はい、おめでとうございます…って何ですか、その♡は。

F:あら、だって新年だけでなく、貴方のお誕生日でもあるでしょ。おいくつになったのかしら?

M:年齢の話はしない約束でしょ。奇跡の美魔女との誉れ高いお姉様だって去年の誕生日でついに…。

F:…ゴホン!そうね、まぁその話は置いといて、入院中には何かあるごとに誕生日つまり生年月日を確認されるんでウンザリって言ってたわね。

M:そうなんですよ、採血やら投薬やらその他いろいろ処置のたびに自分の口から言わされて。そうするとナースの二人に一人くらいが笑うんです、「あら、ウフッ」って。

F:まぁ珍しいのかしらね。でも日本人の戸籍上の誕生日で一番多いのは1月1日だって聞いたけど?

M:そうそう、前後に多少ずれてても元日と届け出るケースが多いからだと。だからそう説明して、ちなみにボクは正真正銘の元日生まれだよって言いましたけどね、製造元の亡き母によれば…予定日ピッタリだったとか。

F:お母様も新年早々大変でらしたわね。まあ昔っから待ち合わせには時間ピッタリに来たけどアナタって…ところで今年がアニヴァーサリーの作曲家って誰がいるのかしら。

M:生誕200年がブルックナースメタナ、150年はシェーンベルクホルストにアイヴス、没後100年でフォーレプッチーニブゾーニ、その他諸々です。

F:ふ~ん、それじゃあ私たちの想い出の曲でもあるし、シェーンベルクの「浄夜」についてはいかが?無調や十二音技法の作品じゃあ私はあんまり。

M:想い出って、あの初デートだった’73年秋のカラヤンベルリン・フィルの来日公演で聴いたってことですよね。

F:そうよ、他に何かあった?

M:…いや、この曲の題材のリヒャルト・デーメルの詩の内容みたいないきさつがあったかなぁと。

F:あら、お生憎様。詩の中の男性みたいな包容力のかけらもない優柔不断な誰かさんとはそんないきさつなんかありませんでしたわ。

M:いきなり劣勢だなぁ…まあ確かに僕が蛮勇を奮ってお姉様を誘い出した晩の記念の一曲目でしたからね。ところで出来たばかりのあの頃のNHKホールたるや、まあ酷い音響でしたね。

F:うん、私も覚えてるわ。弦楽合奏の「浄夜」はまだしも後半の「英雄」は…。何だかオーケストラが前後裏返しみたいにに聴こえて。

M:同じ年の6月にこけら落としの演奏会をFM生中継で聴いてたんです、サヴァリッシュ指揮N響の第9を…まあ生中継自体もまだ珍しい頃で。ところが弦は遠く金管が前面に突出するおっしゃるとおりの珍妙なバランスで首をひねってて。諸般の事情でマイクセットが間に合わなかったのかと思いきや…。

F:会場でも全く同じだったわね、天下のベルリン・フィルでしかも1階中央のS席だったのに。残響も少ないし、倍管のせいもあったのかしら。

M:翌々’75年春のベームウィーン・フィルでも同じ傾向でしたからね。’77年頃にようやく改善されたみたいだったんですけど、噂ではNHKがこっそり手直ししたとか。また評論家諸氏も忖度を働かせたのかあんまり明確には指摘せずじまいで。まあ「浄夜」でも弦の艶には不満があったけど、いかにもカラヤンらしいゴージャスな仕上がりでしたね。完全に十九世紀に軸足を置いた演奏ではあったけど、それはCD(ドイツ・グラモフォン)でも共通で。オリジナルの弦楽六重奏の簡潔さとの明確な差別化にはやっぱりこういう豪奢さが必要だなぁ。

F:ねぇ、でもさっきも言ったデーメルの詩の男女は煌々とした月の光に照らされて自分たちもお腹の子も浄められると信じて歩みを進めるのよね。対照的だったのがほら、ノーマン・ジュイソン監督「月の輝く夜に(Moonstruck)」(’87)って映画があったでしょ。シェールがアカデミー主演女優賞を受けた。

M:えぇ、あれはNYのリトル・イタリーのイタリア系家族の話でしたね。登場人物がみんな月の光に浮かされたみたいになって恋のドタバタ劇を。シェールとニコラス・ケイジが連れ立って出かけたメトで観るのはプッチーニラ・ボエーム」で第一幕は「幸いにも今夜は月夜(Ma per fortuna è una notte di luna)」…国と場所によって月の魔力には違いがあるみたいで。

F:…ところであの晩コンサートのあとにどこで食事したか覚えてらっしゃるわよね。

M:そりゃあ勿論、お姉様を初めて連れ出したんだからその先まで周到にプランを練ってたんで。代官山ヒルサイドテラスにあったR屋です。旧山手通り沿いでエントランスから素晴らしい店でしたね。

F:あそこでテーブルに案内されたらすぐに「アペリティフキール・ロワイヤルはいかがです?」なんて堂々と私に勧めるからビックリしたのよ、何てナマイキな高校生だろうって…しかも全然物怖じせずに。まだキール・ロワイヤルなんて知ってる人も少なかったでしょ?

M:そうでしょうね。僕もクレーム・ドゥ・カシスをアリゴテで割った普通のキールは知ってたけどシャンパーニュで割ったロワイヤルは初めてで、値段のことも含めてドキドキだったんだけどR屋のメートル・ドテルはにこやかに対応してくれて…あれからほんの十年ほどで銀座店ともどもかき消すように姿を消して。今や名前を覚えてる人も少ないでしょうね。

F:飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃のポール・ボキューズの実質的な支店として盛況だったのに…良いお店の末路って果敢ないものなのね、素敵な想い出だけ遺して。でもお店は素敵だったけど、あの晩は月が輝いてなかったのかしらね。

M:えぇ?それはまたどうして…。

F:ほら、アナタと私のそれからを考えると、お互い付かず離れずで長いお付き合いだけど、月の光に打たれたみたいな展開にはならなかったじゃない。まあ誰かさんののらりくらりのせいもあったんでしょうけど。

M:…ヤレヤレ、とりとめのない話から結局またイジメるんだからなぁ。今年もまた同じ展開か…。でも考えてみたらお互いカラヤンを実演で聴いたのはあの一度だけでしたね。

F:あら私は他の年にもお誘いがありましたのよ。’70年は家に遊びに来て顔見知りだった父の研究室の人から…まだ私も高校生だったから父がシャットアウトしちゃったけど。’77年と’79年はそれぞれ別の大学院の人に。皆さんお顔もお名前も忘れちゃったけど…それにあの普門館だったし会場が。

M:さすがに高校生の頃から噂の美少女だったんですものね…ところで僕もでしたよ。’77年に大学のクラスで男子がみんな目を付けてたマドンナから教室でいきなり「今度カラヤン来ますでしょ、ご一緒しません?」って。

F:ふ~ん、どうして彼女はアナタがクラシック好きと知ってたのかしら。

M:多分買ったばかりの輸入盤の新譜を同級の男と話題にしてるのを近くで聞いてたんでしょうね。ところが’73年にお姉様とご一緒してもう十分と思ってたから、素っ気なく断っちゃったんです。

F:へぇ、皆さんが鵜の目鷹の目のマドンナをあっさり袖にしちゃったわけ。好みじゃなかったのその方?

M:いや、そんなことは。背はお姉様と同じ165cmくらいでずっとテニスやってるとかでショートボブのスポーティな感じで、当時人気だったハーフ女子グループのひとりに似てるって男どもはもっぱら噂してましたね。ある日廊下で目を細めて見つめられたんで、何故って聞いたらかなりの近視でつい知らない相手にもお辞儀しちゃうんだとか…それから挨拶くらいはしてましたけど…家は蒲田の近くと言ってたなぁ。

F:てことはやっぱり好みに近かったんじゃない。また何十年も経ってるのにいろいろ良く覚えてらっしゃいますこと。

M:いやだって僕には既にお姉様って本当のマドンナがおいででしたし。まぁ男どもからは何考えてんだよ、お前って責められましたけどね。でも彼女どうやら仮面浪人だったらしく、翌年は姿を見かけなかったし僕も中退して他大に編入したから。

F:(笑)何を今頃若い頃のモテ自慢してるのかしらね、私たちったら。

(承前)