"Veni,Creator Spirytus(来たれ、創造主なるスピリタスよ)"?

Masculin:…って何のもじりかお判りでしょう?

Féminin:うん、ラテン語の聖歌ね。マーラー交響曲第8番第1部の歌詞も。でも一字変えて「聖霊」がお酒のスピリタスになってるわ。あんな乱暴なお酒が好きだったかしら、貴方。

M:いや特別に好きってわけじゃないですよ。ただ割合に思い出すことがあるんで。

F:そう言えばもう二十年以上前だった?大学生のグループがこれを使って非道い事件を起こして大変な騒ぎに…。

M:そうでしたね…あの事件以来このスピリタスも妙に知名度が上がって。

F:「元気があって良いじゃないか」なんて肩を持った愚かな国会議員まで当然だけど次の選挙で落選しちゃって…それから四年前、コロナ禍の始まりに消毒用アルコールが不足して緊急時にはこれで代用だなんて話もあったわね。まあ消毒に使うのはエタノールを70%ほどに希釈したものだから。

M:ことほどさように酒自体の価値が語られるよりも周辺の状況でのみ話題に。でも無理ないですよ、何度か試したけど格別旨いとはまるで思えなかった代物だから。

F:あら、他のことはともかくお酒に関してだけは「万婦ことごとく小町なり」なんておっしゃってたアナタらしくもないわね…。 

M:まあ源氏なら末摘花みたいなとこかなぁ。96度のアルコールで舌が灼ける感覚を愉しむっていわば鉄火な気性を試されるだけとしか。でもいるんですよ、世の中には物好きが。あの事件以前だけど、行きつけのバーで知り合ったすこぶる体格の良い二人組がいたんです。

F:体格だけでこれがお好きそうだって想像出来るわね(笑)。

M:いやまさに。聞けば大手生保の同期で学生時代に一人は柔道、もう一人は重量挙げをやってたとかで、勝手にワーグナーラインの黄金」の巨人族兄弟ファーフナーとファーゾルトと名付けました。その兄弟が現れるとこれをボトルでオーダーし、生(き)のままショットグラスで呷り小一時間で空にして意気揚々と引き上げると。

F:500mlで96度だから普通のスピリッツならボトル二本以上だわ…つまり小一時間でそれぞれウィスキーを一本ずつ…スゴいひとっているものね。まさかせいぜいライト級のアナタが張り合ったりしなかったでしょうね…それとも巨人族を操る主神ヴォータンを気取ってたのかしら、アイパッチでもして。

M:まぁもう僕の方がかなり年上でしたし体格も違いますから。それでも袖すり合うも何とやらで、75.5度のロンリコ151でささやかに相手をしたら盛んに「先輩!」と持ち上げられました…なかなか長幼の序をわきまえていて。彼等も必要以上に騒いだりするわけでなく、それだけ呑んでさっと引き上げる気持ちの良い連中だったから。

F:お酒呑みもいろんなタイプがいるから、ウマが合いそうなひとって直感的に分かるのね…いくら呑んでも騒ぎも暴れもせず、すぐ隣にいるワタシにも無関心だった誰かさんとは通じるところがあったんでしょ、そのお二人と…その後は?

M:…無関心だったってもしそうならこんな長いお付き合いにもならなかったと思うけどなぁ…しばらくして二人とも勤務地替えになって姿を見せなくなり、そのバーも数年後に灯火を落としました。あと銀座レストランPのソワニエ(上客)だったIさん、覚えてらっしゃるでしょ、麻布十番でご商売されていた。

F:うん、スマートでダンディな方だったわね…。

M:あの方がいつもディジェスティフにこのスピリタスを好んでらしたそうなんですけど、そのせいかあらぬかある時ひどい口内炎に罹ったとか。

F:ふ~ん、お気の毒に。でも貴州茅台酒を呑み過ぎてお口と反対側の消化器のトラブルに見舞われたアナタよりはダンディなご病気じゃないかしら(笑)。次はそのお話をしましょうね…。

(Fin)