Masculin:ついこないだ、ブラームスの変ロ長調コンチェルトの話をしていて、ポリーニの演奏にも触れたら残念な報せが…。
Féminin:ねぇ、まだ私たち小澤征爾さんの悲しい報せからも立ち直っていないのに…このところキャンセルが続いてらしたのは知ってたけど。
M:思い出すのは’86年5月9日。クライバー指揮バイエルン国立管の初日の文化会館の客席で小澤さんとポリーニの姿をお見かけしたんですよ。
F:その後楽屋にクライバーを訪ねたお二人の写真を見たわ。関係者を交えた会食の写真も。
M:ところが録音は沢山聴いたけど、我々ついに一度もポリーニの実演は出かけなかったんですよね。
F:そうね。私たちアルゲリッチは一緒に聴いたけど、そのせいかポリーニは疎遠だったのかも…あの人も何故かミケランジェリも含めてイタリアのピアニストには無関心で。
M:とにかくドイツ・グラモフォンからのデビュー盤だった「ペトルーシュカ」からの三楽章とプロコフィエフの第7ソナタ、続いたショパンの練習曲集の完全無欠ぶりったら恐るべしでしたからね。さらにさすらい人幻想曲にシューマンの幻想曲と同じ路線だったけど、そのアバドとのブラームスでおやっと…。
F:あれを輸入盤で聴いた時にもしかしたらライヴ収録じゃないかって言ったわよね、貴方。
M:そう、別に破綻があるわけじゃないけど、何か気配がね。そしたら後年アバドがインタビューで「あれはライヴだったんだよ」と言ったんでやっぱりと。
F:そう、今聴いても第1楽章や特に第2楽章の中間部になだれ込むあたりはただならぬ熱気よね。でもあの頃からポリーニの芸風が変わったんじゃないかしら。それまで録音で聴く限りではミケランジェリの後を追うような完璧主義なのかと思ってたけど。
M:そうですね。初来日でシューマンの交響的練習曲を聴いた知り合いは、録音とかなり違うイメージだったと言ってましたけど、そういう姿がだんだん顕著になり演奏スタイルが変化したのか。まあ一度も実演を聴かなかった我々が軽々しく断定出来ませんけど。
F:ねぇ、音楽と直接関係ないけど、’10年に高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式でソフィア・ローレンとポリーニが並んでたじゃない。あの時戦後イタリアを代表する女優とピアニストなのに、それまであんまり接点がなかったのかお二人ともどことなくよそよそしく見えたのね…。
M:えぇ、僕も同じように感じましたね。生粋のローマっ子のソフィアとミラノ生まれのポリーニで気が合わないのかなんて…あとソフィアの頭が半分くらいポリーニより高いとこにあったこと。
F:ヒールの分くらい高かったのかしらね。
(承前)